刻コクと情勢動き
刻コクと闘い、
刻コクと日米政府を追い詰める 台風17号はバシー海峡、台湾南を横断する進路示しています。尖閣列島では海上保安庁、台湾巡視船が「水鉄砲」合戦しているようです。まるで、子どもの戦争ゴッコです。17号で一旦収まると思います。頭冷やしましょう。
八重山の人々は「平和的解決」求めています。石原都知事の責任は重大です。
尖閣列島を台・中・沖の「平和・友好」のシンボルに!人民は必ずできると思います。
また、台風がこの進路取れば(不安定進路)、沖縄への影響少なく、オスプレイ配備強行でしょう。
週2回、うるま市へ治療ですが、私は決まった時間に入ります。同郷の看護師さんがおり、わたしが何をしているか知っています。
朝ねなどで遅れると「何があった?」と「宝の海」開くようです。高江やオスプレイの話などします。
普天間ゲート座り込み
実行員会ー7:00~8:00
動き活発です。更新に更新を重ねて時間入れないとならなくなりました。
1週間前に琉球新報に送った原稿です。掲載可能性ないと思いますので、1週間前の私の提起を添付します。
今日は、わたしも普天間ゲート行こうと思っています。
戦中生まれ・団塊の世代へ
オスプレイ配備させて逝けますか 私たちの世代は、米軍占領期・サンフランシスコ条約下の軍事植民地時代から今を生きています。ある意味では沖縄の戦後史の証人と言えます。無権利のなかでの米軍の圧政、事故・犯罪など経験し抵抗して闘い、人権、渡航制限撤廃、自治権拡大、主席公選など勝ち取ってきました。復帰運動では国境侵犯で北緯27度線を超える「犯罪」を犯してきました。私たちは屋良朝苗(公選主席・初代知事)先生など優れた先人たちの導き受け「文字に書かれない憲法」を心に打ちたて、それは日本国憲法より豊かな精神です。それは、また「武器なき闘い」非暴力の精神であり、サンシン文化含め「平和の文化」(国連総会1999年9月13日宣言=紛争の平和的解決・非暴力を柱)の宣言になりました。
私の定年は2004年3月末、その4月19日、軍民共用空港反対の現場闘争に入ります。私の生徒への定年の挨拶は「稲嶺恵一知事、岸本建夫名護市長の基地政策に勝つ第二の人生」と勝ったのですが、日米合意と高江ヘリ・パットです。
同志の皆さん、オスプレイ配備させて逝けますか。思い出してみましょう。米軍支配は「水攻めの沖縄」でした。また、家の屋根は水タンクです。
オスプレイは墜落や事故は生命の危機があります。訓練は伊江島、中部訓練所(ハンセンおよびシュワブなど)、北部訓練所(高江含む)です。豊かな照葉樹林の森は様々な植物が密植して、激しい太陽から身を守るために葉は油で保護し輝きます。さらに、落ち葉をたくさん落し、大地が乾燥しないように憎いほどの助け合いです。ヘリとオスプレイの決定的違いは風圧と200度以上の熱風です。森は「茹でられ、蒸され」劣化が始まります。
沖縄経済は観光が牽引しています。「大型リゾートでダム一つ」と言われます。ポスプレイの訓練は持続的沖縄経済の衰退の要因になります。負の遺産を残し「グソウー」に逝って、先人たちに会え、子孫たちに讃えられますか。私たちは基地ゲートに立ちはだかり、基地に入って(1970年12月)闘った世代です。薬も飲むヤンメームンの年となりましたが、サンシンを奏でて普天間ゲート封鎖するジンブンを持っています。「トゥシヌ功ヤ甕ヌ功」に若者たちのエイサー続くと思います。断食も座込みも鍛えられた世代に誇り持って、いざ、オスプレイ阻止の先頭に立とう。「民衆が信じ合い、自らの力を確かめ、決意を新たに、生きとし生けるものために警鐘を鳴らす」(復帰闘争碑文)今だ。
(26日、05:00)
琉球新報
社説
橋下氏の見解 信念も哲学もなかったか2012年9月25日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197294-storytopic-11.html 日本の自治の歴史の中で
全議員のデモはあったかー歴史的なことだ!
QAB
2012年9月25日 18時31分
オスプレイ配備撤回訴え 宜野湾市議らデモ行進
http://www.qab.co.jp/news/2012092538205.html 昨日第2信で「クローズアップ現代」紹介しました。
「宝の海」読者ー解説者と電話論争しています。時々、わたしもします。
http://dai9jo.ti-da.net/e4074751.html (普天間帰って更新続きます。)
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