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明日ー県民大会ー普天間閉鎖ー新基地反対

県民大会
  私の普天間19年―今日の到達点
沖縄一の素晴らしい街

 
  嘉数台地の野外授業
   21世紀の君たちの仕事
 1990年初頭,大平高校(現陽明高校-浦添市)から宜野湾高校勤務時代、嘉数台地で「この基地を1日も早く返還させて、沖縄一のすばらしい街を創るのが、21世紀に生きる君たちの仕事になる」(拙著『沖縄の太陽物語』1995年7月末日)と野外授業。毎年1月3日には普天間基地返還自動車デモを行っていた。
 宜野湾高校と宜野湾海浜公園の角、「竣工」碑のポケット公園は万国津梁や琉球の歴史、基地返還と街つくり、琉球・沖縄の文化を教える野外教室であった。この実践は立命館大学土曜講座ブックレット1『憲法と安保』におさめられている。


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 そして、1995年9月、少女暴行事件と10・21県民大会、基地と反戦地主が歴史の舞台に登場、SACO合意と辺野古へと動くのである。
 この間、私が語り、書いてきたことは、少女と母親の勇気デ、政治家でもありません。その意味を知るとき、私たちは明日の歴史に正面から立ち向かうことができる。
 あの時の生徒たちが
  伊波市長を生み、そして、持続、その心は
 宜野湾・普天間高校の生徒たちは、1996年、7年、全国高校生平和集会(約600)を開いた。ガイドに加わった沖縄の高校生80人余、高校生の可能性は凄いと思った。この年9月、米国防省(ペンタゴン)、国務省、議会への要請行動を行った。千葉高校生平和ゼミの「日米友好条約案」を英文にして提出した。世論調査で沖縄県民が今、求めていることだ。
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 あの頃の高校生たちが宜野湾市の中堅として「宜野湾にいらないものは、名護にも日本全国どこにもいらない」市政を支えている。
 私はこの人間として大切な心を何よりもうれしい。沖縄一の美しい街とは人間の大切な心であると思う。ゲーツ・岡田がいうこと聞かないなら居座り続けると脅しをかけても、あわてず、耐え、普天間閉鎖を愚直に求める。今年だけ、体調不良で自動車デモ休んだ。
 永住の地名護に戻って
  わが第二の人生に向かって
 市民投票の翌年、名護に戻る。現職のまま、どれだけ、マイクを握ったことか。600回を越して04年3月、無事定年退職、渡具知祐徳氏はよくも満足に務めたものだという。
私の定年あいさつ(離任式)
   私の第2の人生は生きながえることではなく、太く生きること。国民の税金で38年生活し、多くのことを学んできました。社会という学校で国民に還元すること。名護市に基地移設を進める稲嶺知事、岸本名護市長にかつ人生に向かいます。
   みなさんは、街角で、新聞やテレビで私に会う機会があるでしょう。私はこの木の腰掛に38年間座って来ました。4月1日からは腰掛に座る必要はなく、平和の文化を築く一筋の道を歩み続ける」(『愚直』「座り込み100日、2004」
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(まだまだお世話になる腰掛45年)
 普天間を説き、阿波根昌鴻さんと再会、反戦地主になったら、少女と母親から勇気を貰い、名護に戻り、辺野古と愛楽園ハンセン病を教え、歴史的な判決に出会い、軍民共用空港に勝ち、沿岸案葬り、V字形を狂わせ、首相候補が辺野古ダメと言い、政権にありつき、何か、また、おかしくなり、自分の原点を振り返るのが多くなった。6年余の辺野古・大浦湾の海で、頭も体もボロボロ、でも、現場だけでこれだけ動いたのではない。さまざまな、多くの心、営み、それは、国民が政治を動かす、あらゆる分野の総合的な力だ。
 権力を掴むとその下まで、大切なものは何かを失いかけている。自分が歩んだ過去から現在を分析し、明日を描きたい。毎日・琉球新報世論調査に沖縄が日本社会への新しい挑戦が見える。民衆の明日を描く力はすごいと思う。
  沖縄タイムス(10月6日)
   「岡田氏8方ふさがり」
  笠井亮議員の質問とは赤旗読む
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 「米<結論>に期限設けず」の新聞記事(タイムス)をロード・マップおよびキャンベル岡田会談、密室内容を注視する必要あり。
赤旗6日 論戦記事HP面白い。
「普天間」 無条件撤去が沖縄の心 本腰入れて対米交渉せよ/衆院予算委員会 笠井議員の質問

宜野湾高校での日記から(96年12月)
 激動の21世紀初頭に生きるものとして
 「あと、数年で20世紀が終わろうとしている。・・時代を、歴史を、今ほど鮮明に意識することはない。・・21世紀を前にした今日の状況は。まさに変化というには余りにも大きい激動であり・・歴史を創ることの意味が問われている」(1996年12月)
 
 2010年「沖縄も日本も世界も大きく動く年」と唱えて久しい、歴史を創る沖縄県民のダイナミックな動き、発想に頭をたれる、老いて、病に倒れたなど泣き言を言ってはならない、人間の道を踏みながら。11月8日はポケット公園を歩いてみたい。

 大腸検査の下剤約飲みながら記す。
ワシントンDC沖縄連帯集会
  ガーソン氏、コラソン女史らのグループが、11月8日、沖縄連帯集会、時差、利用して映像送ってほしいとの連絡あり。
   あて先:Ms.Nydia Leaf
   メール : nyleaf@verizon.net
私、メール音痴、英語のできる方で協力できませんか。
 

(星空に蛍休みます)
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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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