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辺野古に激震の予感ー石破の隠密行動・川口順子の動きから

辺野古の日々の多様な世界
  感性の豊かな人びとの集い

 ヤンメームン(療養者)を引き付ける
   辺野古の日々の変化
 17日もテント村に行った。いつも新しい変化、新鮮な辺野古に出会い、そして、確信が湧くからです。テント村から眺めてみました。いつもと、変わらない姿ですが、面白い変化があるのです。

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 港を拡大して見ました
  芸術の秋が

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  浜辺に足を運ぶと
   芸術家が群れています

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  有刺鉄線の何を描いているの
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 岸壁で
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辺野古から日本の政局が見える
破の隠密行動・川口順子のテント村訪問
  政局のマチブイマチブイの「激震」の予感

 岡田の沖縄での動きは見える。石破の3日間の動きが見えないと思ったら。私が辺野古から帰った後に川口順子(小泉内閣環境大臣、外務大臣)、島尻愛子、佐藤正久(髭の自衛官)、小野寺5典らが辺野古誘致派と懇談して後、テント村訪問したようだ。
 考えられない行動である。岡田は沖縄の意見を聞くと言いながら、現場とあっていない。元外相が「敵地」に乗り込んできた。
 石破の隠密行動3日、川口のお出まし、民主党岡田をはるかに超えた動きである。鳩山は石破の動きを見て、下記の動きでコメント(フィガロンの結婚)する。
面白いメッセージが見える。
 今日の朝刊の内容が見えてくる。自民党が民主党ビジョンの世界に入る。民主党がアメリカの恫喝外交。
 キャンベル、ローレンスの動きとアメリカ通信など総合、辺野古から日本の政局の「激震」が予感される。
 私は、モーツアルトの歌曲を思いだし、世界史や倫理で「音楽・芸術で見る世界史、倫理」の授業などから、青春の時代回想する。革命前夜のパリ市民になろう。 

モーツアルト「フィガロンの結婚」
   「もう飛ぶまいぞこの蝶蝶」
 カメラマン、ミュージシャンは辺野古を撮り、また、歌った。画家のみなさん(50人)が、集ったのは初めて。非道の民主政権の姿に、感性の共有の世界。
 民主の権力をオモチャにする姿は、国民の不信、政治への虚無を生み出し、偏狭ナショナリズムの温床となる。
 シュワブに政治家は立ちたくないようだ。思わず「きれい」と人間的感性が湧き出るようだ。ラムズフェルドも「きれい」口にした。この人間的感性を示さなかったのが、小池百合子、岡田の二人だ。
 中学のころ、モーツアルトの歌曲「フイガロンの結婚」の一節「もう飛ぶまいこの蝶蝶」を歌わされた。

 高校生のころ、ルソー「社会契約論」、マルクス「共産党宣言」など読んでいた。
 パリ革命前夜、パリの民衆は「フィガロンの結婚」
  「王は死んだら骨しか残さない、ブォールテールは永遠なり」と歌ったと音楽の時間に習った。音楽のレポートで「第9交響曲」「1812」などを百科辞典で調べて書いて「ヒジャイヌリー」(音痴)の私が音楽で初めて「5」をもらった。音楽や芸術、電信柱とアヒル、よくて、カモメであった。
 今の沖縄・日本で「フィガロンの結婚」歌うとすれば
  「安保は死んで、日本国憲法を輝かそう」
  「普天間を安保条約10条で終わりにしよう」
  「平和友好条約で新たな国民間の友情を作り上げよう」
  「辺野古に芸術と感性の花開く素敵な人間世界を」。


 日米首脳会談に見るオバマの苦悩(メモから)
   「瓶のフタ」
 日米首脳会談の記者会見で、オバマは、日米安保、日米同盟に必ず、太平洋・アジアを枕ことばで使った。「瓶のフタ」論である。アジア世界には日本のミニタリズム、ミニタリストに警戒心が強い、日米安保は日本の偏狭ナショナリズム、軍国主義を封じ込めているとする古い理論である。
 オバマは日本の政権交代を「激震」と褒めちぎって(妻や娘も出して)、東南アジア、中国にメッセージを送っていた。
 ある意味では、鳩山内閣を無視していたといえる。これに対して鳩山はオバマの「日米合意の迅速」に対して、「合意前提とせず」と不快感を表に出し、マスメディアは面白く扱っていると、見た方が無難であろう。
 オバマの「瓶のフタ」は新しい日米首脳間の悩ましい種となったと言えないわけではない。「瓶のフタ」論は沖縄が重要な政治課題を突き付けるとき、よく、復活する。
 岡田は石破の動き読めない。鳩山は無能の部下の行動に予防線を張ったと見るべきであろう。
17日の日米閣僚級会議(各社の電子版)も面白い。
 
 しかし、東南アジア友好条約、ASEAN憲章のアジア首脳会議が世界人口の半数を超えた時代に
 オバマの「瓶のフタ」はどうだろうか。
 「瓶のフタ」は日本の憲法状況に対する、日本国民の歴史意識、未来志向の問題でもある。

(続きー星空に蛍が舞う川ー最終回14)
星空に蛍が舞う川14(最終回)
VOA住宅
  チンブク竹の痛み

 当時、生活改善運動が盛んで、土間の台所がタイル張りに変わり始め、石油コンロの普及が始まっていたように記憶しています。
 お風呂も、全然囲いのないドラムカン風呂から、鉄製の風呂が家の中にでき始めてきたころで、井戸の側の野外露天風呂を仏草覗いていたものだ。
学校でもアメリカの家庭見学が盛んで、VOAのアメリカ住宅の見学があって、冷蔵庫、ガスコンロなどの備えたアメリカの生活を夢の世界と、アメリカ映画とともに憧れの世界でした。それ以上に、一人一人に配られるお菓子を包む紙、輝くお菓子が私の心に刻まれています。
  米軍住宅住宅見学
   生徒と教師の痛み
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(VOAの米軍住宅と米軍保養地奥間ビーチ、米軍住宅は現在日本航空ビラー奥間)

 当時は、アメリカの映画も騎兵隊とインディアンとの闘いの映画が多かった。私は同じ顔のインディアンが悪者にされていることに違和感がなく騎兵隊の活躍をすごいと思っていた。
 奥間ビーチの滑走路にヘリコプターが止まっていた。当時の奥間ビーチは将校以上のリゾートで、おそらく偉い人が来たと思われる。悪童どもは、目の前のヘリコプターが珍しく、近くに近づき、やがて、ヘリコプターにブラ下がったり、遊び道具にしてしまった。
 その日、学校に帰ると、担任の先生が頭から湯気が蒸発するように怒り、全員横一列に並べ、手を出せと、板の物差しで次々に一人に三度叩く、板の物差しがいくつも折れる。私のころには、チンブク竹の授業棒で、昨年、夏休みの宿題で提出した、竹の根の節に五本指が入るしなりのある竹の棒であった。私は手の甲を差し出し右手を上にして待った。日々の草刈などの仕事で、私の右手は豆タコで固く、時に剃刀で削っていて、右手が当たるようにするのですが、竹は手の甲の一点に食い込み、痛みが脳天に走り、涙腺を破裂させ、涙がこぼれ止まりません。女生徒のいる前で、声を出すことはなかったですが、担任の目からも涙がこぼれていました。
 
 太陽が沈み、月明かりを頼りに山道を下った川は、何事もなかったようにボラが月に跳ねていました。私は、十三夜の月明かりを頼りに草を刈り、モッコを担いで夜道をトコトコと歩あるいていました。学校では何事も起こりませんでしたが、この年、サルとミルクは学校から消え、私の草刈りの手伝いをした多くの学友が新天地ブラジルへと故郷を棄てて行きました。ラクサのギンヤンマや蛍は、戯れる子どもとの世界を失った。
 中学までに多くの仲間がブラジル・ボルビアに移民で去った。中学・高校時代は学級を中心に書き残してある。「素顔の青春」
 奥間小学校運動場
 昭和26年、祭温松が、そこは、「牧場」

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 小学校を卒業すると辺土名にある国頭中学に入学します。辺土名小学校の生徒と二つの学校の中学です。運動会は小学校と中学合同で行われた。奥間小学校のグランドは湿地の田に山竹、ワラビなど敷き詰めて森からトロッコ、人力、馬車などで土を運んだ。そのために運動場は「牧草地帯」、月に2度ほど4年以上の生徒で草刈り、私はこの平野の掃除人であった。草は生える暇はなかった。私の身長もモッコで伸びる暇はなかった。まだ、祭温松が村に残っていた。楽しみの一つに
村芝居があった。
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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