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辺野古の闘いーテント村開村のころー辺野古の原点、今に何故?

2010年正月の闘い 
1月1日 辺野古の朝日を見よう
 1月4日 テント村ハチウクシー
     1時は大根のお汁
     廃鶏焼き肉
     お餅焼き 差し入れ大歓迎
   正月街頭挨拶行動
 1月6日、地元大北決起大会
 1月7日(木) 統一連女性決起集会
 1月9日(土)、10日(日) 統一行動
 1月12日(火) 稲嶺ススム総決起集会(室内ドーム)
 1月17日(日)名護市長選挙告示
 1月24日(日)投開票


 辺野古テント村開設(7年目)
  100日日記(04年4月19日から沖縄国際大学ヘリ墜落事件前夜まで)

    日記になにを書いたか
  また、辺野古ありきの中で


平和の文化と地球環境保全の21世紀(辺野古テント村の歴史1)

わが第二の人生に向かってーその始まりの日
 定年退職で自由人の生活に入りました。現職のころ、子供たちに、21世紀は平和の文化を築き地球環境保全の時代と説いてきました。
 現在、普天間代替施設の移転先辺野古の漁港前テントでボーリング調査を許さない座り込みの責任者として100日余の生活が続いています。テントの中でほぼ毎日、闘いの基本的方針を説き、防衛施設庁職員と対峙、議論、マスコミや各地に出かけ話をする機会は少なくなく、ここでは、これらの話を総合してまとめてみました。
3月23日定年退職の挨拶、その一部は琉球新報コラム「ハイサイ」(3月31)に紹介されましたが、私は生徒たちに「私の第二の人生は生きながらえことではなく太く生きること、国民の税金で38年生活し多くのことを学んできました、社会という学校で国民に還元すること、名護市に基地を移設する稲嶺知事、岸本名護市長に勝つ人生に向います、皆さんは、街角で、新聞やテレビで私に会う機会があるでしょう。私はこの木の腰掛に38年座って来ました。4月1日からは腰掛に座る必要はありませんから平和の文化を築く一筋の道を歩み続けます」であったのですが、4月19日以降、テントに座り、新聞やテレビにでる機会が増え始めました。

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(テルジーも孫と遊ぶ、09年12月27日、名護ネオパーク、記事内容と関係ないが)

地下マグマの核
定年に入って、体がおかしくなるのですが、4月19日、那覇防衛施設局がボーリング調査に入る頃になると体に緊張が走り、辺野古への出勤が始まり、6月26日座り込み69日目頃などから東京など呼ばれ講演することになります。
私たちが那覇防衛施設局の環境影響評価法(環境アセス法)逸脱、潜水調査、ボーリング調査などの違法行為に反対し座り込み闘争に入って69日をむかえます。私どもはこの座り込みを2639日+69日と表現します、この表現は闘いの大切な視点ですと話しています。
名護市民投票は海上基地ノーの民意を確立しましたが、政府は市民の意思を無視、命を守る会は「杭一本打たせない」と事務所で監視を続け、8年余にわたって事務所に座り続ける日常があったのです。私どもヘリ基地反対協議会はオジー・オバーたちの日々に励まされて来ました。政府は北部振興費、基地維持予算を水の如くつぎ込み、その中で市内などで、ものがいえない状況が広がり、組織と事務所を守る苦しい日々でした。
69日の座り込みはヘリ基地反対協議会の提起で行われています。市長選二度の敗北、市長リコールの失敗などの中で、解散論、有名な小説家のインターネットでの幹部批判などがあり、組織の維持に苦難の時期がありました。歴史は華やかに動くときはすべての人が動きます。歴史が苦難のとき組織を守り、新しい闘いを作りあげることは大切なことで、今、ボーリング調査の強行に、守る会、ヘリ基地反対協議会の組織の共同が、地下のマグマの核となって日本政府と米国政府に対等の闘いを作りあげていると言えます。


21世紀地球の二つの生き方
1999年9月、国連総会は「平和の文化宣言」と10年行動計画を決議しました。この平和の文化宣言の精神は、特に、02年3月アメリカのイラク侵略戦争に向けて戦争反対の国際行動が地球的規模で行われました。辺野古キャンプシュワーブの海兵隊は米軍とイラク人に分かれて都市戦闘訓練を行い、イラク人はすべて死ぬのです。今、イラクのファルージャで沖縄海兵隊が無差別の虐殺を行っていますが、これはキャンプシュワーブの訓練の「タマモノ」といえます。辺野古に海上基地を作らさない運動は平和と平和の文化を築く21世紀的地球の生きかたで、地域の現実課題と言えます。
1972年の国連人間環境会議、1992年地球サミットの諸条約、地球環境保全の課題は、地球のあらゆる地での日常的な実践的営みでなければなりません。
辺野古の海上基地の問題は平和の文化と地球環境保全の二つが結合した21世紀的課題といえます。同地域の山は東洋のガラコバス称され、多くの希少生物が棲息し世界自然遺産の候補、海はサンゴとジュゴンの海で、生物多様性保全条約などの国際条約と深い関係があります。
私どもヘリ基地反対協議会総会は、アメリカがイラク攻撃した3月20日前の緊迫した中で開催されました。海上基地問題は環境アセスメントの段階に入ることが確実になって来ました。日本の環境影響評価法は、先進国の戦略的アセスメントの要素はなく、事業者(防衛施設局)の事業計画を優先させ、環境省も弱く「合わせメント」と言われて、政府のやりたい放題にかかわることは、基地建設を容認することになるとする意見があることは当然です。
また、環境アセスメントは平和団体、環境団体、市民団体、学者および専門家、多くの人々が全国的、地球規模、学際的共同ができる要素を秘めています。ヘリ基地反対協議会は「海上基地を作らさない」一致点で団結している市民共闘組織で、協議体としてすべての加盟団体の意思一致を大事にします。たとえば、沖縄サミットに対する行動ではヘリ基地反対協が提起者となって実行委員会を組織して取り組むなどです。
ヘリ基地反対協議会は、環境アセスメントに向けては県内外の多くの団体、個人に呼びかけ「プロジェクトチーム」の組織つくりを決定し、模索を始めます。

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 (テルジーも孫と遊ぶ、記事内容と関係ないが)

悔しかった4月8日(03年)をバネに
私どもが総会方針の実践に入りだした03年4月8日、那覇防衛施設局は護岸構造検討のための潜水調査を強行しました。しかし、私どもは有効な対抗手段を確立していませんでした。那覇防衛施設局は3月31日沖縄県農水部に「水産資源破砕許可」を沖縄県に提出、沖縄県は同日「安全保障上の問題」であり、しかも環境への影響はすくないとの理由で許可不要、勝手にやりなさいの返書を送っていました。
前者の理由は法律の専門家から「他事考慮」と行政法の違法行為と批判され、後者については「食い逃げ決済」、ヘリ基地反対協議会は環境影響評価法逸脱、防衛施設局の『現地技術調査』の内容の違法性を具体的に交渉の中で指摘、沖縄県および那覇防衛施設局交渉を強めるとともに、環境影響評価法の学習を深めて来ました。
一方、現地においては土曜集会を開き、松田浜の清掃、ミニ学習会、情報交換を1年間続け、これから行われるであろうボーリング調査に向けてカヌー訓練を組織、海の調査など活動を広めて来ました。那覇防衛施設局は、当初年内のボーリング調査を予定していましたが、狂いが生じてきます。


自然の権利とジュゴン監視団
私どもは9月23日、「沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団」を立ち上げました。呼びかけはヘリ基地反対協議会、沖縄平和市民連絡会、ジュゴン保護基金、ジュゴンネットワーク、環境法律家協会などの弁護団で、県内外に団員を募り約1000人余の団員となった。すでに、アメリカにおいては、米国の有力な自然保護団体「生物多様性センター」および弁護士の協力を得てジュゴン訴訟を国防省、ラムズフェルド長官を被告に提訴していました。
ラムズフェルドは沖縄に来て「代替施設は死んだ」「辺野古の海はきれいだ」と言わざるをえません。「生物多様性センター」は2月に来沖し「皆さんはあの国防省と対等に闘っている、信じられないことだ」と述べましたが、私どもが実感するのは後で述べるでしょう。
ジュゴン監視団は当面課題として公害調停を行いましたが「敗訴」しました。ですが、これからもあらゆる法的手段を検討し闘いを作り出して行きます。
ジュゴン監視団の役目は、環境影響評価法の理論的研究、普及、実践的対応を行い、ヘリ基地反対協議会の海上基地を作らさない運動と不離一体となって運動を発展させてきました。(続きます)

 (旧宝の海掲載から 04年8月まとめ)
(続きーヤンメームン名護市長選挙情報)
ヤンメームン名護市長選挙情報(6)

 島袋陣営
  地域懇談会、業界回り活発 
   選挙プロの地域政策
 島袋陣営は地域懇談会、業界へ浸透作戦。

 28日、昼、街に出た。歯科医院に島袋氏が、歯科医師会の黒い車を伴って医院に入ってゆくの見た。下記は27日為又公民館の島袋氏の懇談会である。
 「軍用地のない行政区への地域振興補助金の助成』など基地誘致を巧みに使つっている。この戦術はかなり練られていて、プロの手法である。ゼネコンが総力を挙げて名護市長選挙に介入していると思われる。
為又区は、農村地帯、島袋の政策には農業・生産などの制作はなく、国の箱物の実の羅列、自立的生産支援がない。基地頼みの恩恵で釣ろうとしている。

 27、28日と雨、明日は天気も回復するので今年の持ち分のチラシ配布完了するつもりだ。


 みなさん
 今年でやるべきことやり遂げましょう。


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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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