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辺野古テント村開村ー原点(2)-今なぜ04年か

 2010年は
  平和の文化と生物多様性が結合
    国際・国内・県内も

( 民主連立政権の諸発言の「迷走」の中で)
 テント村開村ーこの時期に何を(2)、昨日から続く
公共財産使用協議書をめぐる闘い
03年度は、私にとって教師最後の年、高校社会科教師としての実践記録を出さなければならない年であるとともに、確実にくるであろうボーリング調査に対応しなければなりません。職場の皆さんは、私が最後の年だけでも年休完全消化できるよう時間割などを考慮していただきました。
11月17日、那覇防衛施設局は沖縄県土木部河川課に「公共財産使用協議書」を提出、いわゆる、ボーリング調査の許可願いで期限は1ヶ月、私にとって教員最後の年が送れるか現実的問題になって来ました。
私どもは環境影響評価法の学習蓄積で那覇防衛施設局が沖縄県に提出した『現地技術調査』『参考資料』を徹底的に分析、那覇防衛施設局、沖縄県文化環境部環境政策課交渉を連日に等しいほど行い、職場の配慮が発揮されます。
那覇防衛施設局は環境影響評価法に護岸項目がないことに目をつけ、護岸構造検討のための事前調査はアセスの対象ではないとの論理のすり替え、違法な事前調査(ボーリング調査)を強行して来ているのです。『現地技術調査』は埋め立て面積に護岸部分約23haを含むとともに、「護岸構造や埋め立て地盤の安定性の検討」の地質調査となっていて、明らかに、アセス回避の手法で、方法書に地質調査が書かれないなど「欠陥商品」「欠陥設計図」とやり直し、撤回などの声が出てくるのです。
護岸はケーソン式と傾斜式の組み合わせで『現地技術調査』には数字は書かれていません。護岸の幅は78メートル(越波水路35メートル含む)の世界最大級で、リーフ、サンゴを破壊した基礎部分は幅200メートルですが埋め立てに含まれないことになります。
私どもは、63か所のボーリング調査の根拠および違法性、5人の専門家の助言の非科学性、専門家の氏名公表など求め行動を強め、沖縄県議会議員との連携も深めてきました。
私どもの道理ある主張に、沖縄県は独自に専門家の意見を求めざるを得なくなりました。専門家9人中8人がボーリング調査の不当性を述べ山里清日本サンゴ学界会長は「人間の心臓に針を刺すようなもの」と痛烈な批判を行っています。しかし、これらの意見は、環境政策課から河川課へ、河川課から那覇防衛施設局へと改竄され、那覇防衛施設局は受け取りを拒否します。
私どもは環境政策課、河川課、知事面談要求を重ねるとともに環境省及び文化庁交渉など行い、沖縄県の「公共財産使用協議書」の許可を4月上旬まで引きずることになるのです。この間、私は退職願書を準備していました。ボーリング調査の阻止行動、海上でのカヌー行動はヘリ基地反対協議会の幹事会で幾度も確認された方針で、教師38年の退職金がもらえない事態を回避するためでした。
いま、海上基地を作らさない、潜水調査、ボーリング調査を許さない座り込み闘争は100日をこえていますが、この1年の土曜集会、ジュゴン監視団などの学びあいとねば強い日々の行動の成果、蓄積が生きているのです。
那覇防衛施設局、沖縄県、名護市の一貫した方針は民主主義の否定、秘密主義で、説明会も住民及び記者をも閉め出し、行政委員のみに行っていて、市民及び県民との矛盾か拡大する宿命を深めるでしょう。

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(土曜浜集会、中央部右 故金城祐治さん立つ大西)


4月19日―暁の攻防
4月1日、私は自由人となった。失うものは何もない。
那覇防衛施設局は、沖縄県にボーリング調査の着手届けを提出、19日9時マスコミを船に乗せて調査船を出すとの報道が流れ、辺野古の海に海上保安庁の大型ゴムボートが4艇、荒れる海に白い波飛沫を立てています。18日昼、私のもとに那覇防衛施設局は未明に調査船を出すの確実な情報が届きます。19日未明4時、カヌー10艇をトレーラーにつみ辺野古松田浜に並べ、すでに、カヌー隊は潜水スーツ、ジャケットを着け、暗闇の降りしきる雨嵐のなか、緊張の体を解して出航は万全の体制。
午前5時半、那覇防衛施設局は業者含めて約80名で押し寄せてきた。陸上で調査船阻止の闘いが始まる。カヌー隊7艇12名、女性は4人で71歳の女性が嵐の海に漕ぎだし、陸上が突破されたら、海で命をかけて阻止する体制であったのです。私は沖縄国体などで漕艇競技の監督、競技指導委員を務めた経験を持ちますが、その日の海は風が強く、波が高い、横波を受けないよう最後尾から声をかけるも、自分の艇を操縦する以外なすすべを持ちません。カヌー隊は漁港入り口を封鎖するも、風に流されて停泊できず、堤防に縄で結ばざるを得ません。陸上で調査船を嵐のなかで出すかと那覇防衛施設局と問答している目の前で漁港内を流れていたカヌーから若い青年が転落、施設局の職員が青ざめたと後で聞かされ、「怪我の功名」と讃えられます。
陸上では予想してない事態が起こっていました。那覇防衛施設局は暗闇の人ごみのなか、ユニクから鉄骨のH鋼を降ろし作業ヤードの柵の建設をはじめ、建設阻止の抗議行動が展開されていました。午前8時ごろ中断に追い込み、調査船も出航中止、安心した抗議団は一人一人解散を始めた11時ごろ、那覇防衛施設局と業者はスキをついて作業を強行、残っていた人たちの抗議行動が再開され、携帯電話の威力が発揮され、作業ヤードの建設が阻止されます。那覇防衛施設局はキャンプシュワーブに事務所を設置、漁港の動きが手に取るように覗かれていて、寝込みを襲う行為に対し、漁港内作業ヤード入り口に座りこみが始まり、今日まで100日を迎えました。
非暴力の座り込み
今、世界はブッシュのアフガン戦争、イラク侵略戦争に見られるように暴力が地球の主流のように見ますが、それは、新しい世紀、21世紀の平和の文化、地球環境保全の生みの苦しみであることは、戦争前夜の世界的規模で地球の隅々で起こった戦争反対のうねりが示唆します。
ブッシュのイラク攻撃が根拠なき戦争であったように、那覇防衛施設局のボーリング調査の論理が、環境影響評価法の精神を恣意的に解釈、社会常識を逸脱、寝込みを襲い強行、また、方法書も4月28日「民族屈辱の日、祖国復帰の日」にわざわざ選んでいます。     
那覇防衛施設局のボ-リングの説明資料、住民及び新聞記者をも閉め出す非民主的な説明会、方法書にかかれない海上基地の真の姿と、果てしなき沖縄の環境破壊、沖縄では何でもできるの構造的政治的差別に貫かれていて、内部矛盾がマグマのように地下で爆発の準備をしているようなものです。
沖縄の日米両政府への抵抗はアメリカの占領期から「武器なき闘い」(「沖縄の抵抗はアメリカ独立宣言と同じ」P00参照)でした。
私は初日の那覇防衛施設局との攻防から闘いは長期化する。テント村でのさまざまな場面のなかで、私たちの闘いの基本的な方針「完全非暴力の行動」「この闘いは整然と座りこむことです」「漁港施設は漁師たちの神聖な場」などの約束事を確立、責任団体であるヘリ基地反対協議会の指示に従い、旗も「命を守る会」「ヘリ基地反対協議会」のみ、テントに入ると一人一人が平等の人格を持ちます。
今、4張りのテントが建っています。朝7時にテントを設営、午後5時まで10時間の座りこみ行動で、離れて「見張り兼司令部」のテントが建ち、キャンプシュワーブ内の防衛施設局の作業兼監視所の動き、情報収集、座り込みの維持、防衛施設局との対応など行います。
那覇防衛施設局は月から金までの間に1ないし2回、作業ヤード建設再開、潜水調査・ボーリング調査実施要求にきます。最近は木曜日の3時30分頃、私たちの情報網、名護署公安の刑事の動き方、刑事の足や目の動きで防衛施設局の動きがわかります。

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  (04年4月19日、暁の攻防、中央故金城祐治さん)
   


 テント村に初ユタの誕生
 台風の去ったある日、聞大君87代と名乗る女性が訪ねて来ました。指導者に会いたいという。ニライカナイの神の力を与えるからついて来いという。女性の車は猛スピードで辺野古橋から農道を走り、辺野古川河口の浜に降る。あまり、早いので村の人かと聞くと初めての道で、河口森のアヤー(女)神の導きだと言うのです。
 女性は浜に降りると「アヤーヌ神サイ、聞大君87代」大声で、森に向かい、陸の神、海の神々に語りかけます。河口の向こうには竜宮の宮―ターリー(男)の神の住む島があります。3年前、「ジュゴンを守れ、新基地反対」全国キャラバンの出発式、辺野古の神人たちはターリーの神に祈願をしてくれました。女性はヤマト政府、稲嶺知事、岸本市長が、神々の住む陸や海を破壊する計画を告発し、ニライカナイの神を導き、砂浜に南北の十字を書き、北は大西、南は牧志(好一)、西は山内(徳信)、東はニライカナイの神が登る道、この道は偶然かジュゴンのクチが開け、ジュゴン監視団の理論的中心牧志、基地移設反対県民会議共同代表で防衛施設局と現地及び局で奮闘している山内が出てきたときに、私の体と精神が神の世界に入ったようでした。
 女性は十字の中心にニライの神々を呼び寄せたから、あなたの願いを話せといいます。私は、基地を作らせない、私たちの闘いに神々の加護とテントで毎日がんばる人々の健康を願った。女性はますます大きな声で、体中を祈りにささげ続けるのでした。
 仲松弥秀琉球大学名誉教授が高齢を押してテントに1日中座りこんだ折、辺野古の神事と二つの霊所について語っていただきました。辺野古は沖縄の3大霊所だと言います。私は村の暮らしと神々の文化の大切さを方法書の意見書に書き込みました。同教授も意見書を提出したと聞いています。
那覇防衛施設局は、来る日、時刻を告げず突然「わ」ナンバー二台で押し寄せてきます。情報網、名護警察公安の動きで分析して待ちます。私はニライカナイの神々との会話について「今日は皆さんが来ることをここの神々から知っていました」とニワカユタを演じてみました。防衛施設局のm氏は帰り際に具志堅徹氏を捕まえ、2つの霊所について場所を聞いていました。
ある日は、稲嶺知事の「マグマ」論を展開、稲嶺知事は米軍の事件・事故に対しての沖縄県民の怒りを「地下のマグマ」といいます。稲嶺知事の役割はマグマの爆発、マグマの真の姿を抑え、本質をゆがめるのが「マグマ」論で、防衛施設局の違法な環境影響評価法の手法、構造的政治差別、基地政策は沖縄県民の地下に眠るマグマが爆発する要因、瞬前と述べたら、局での報告中、「とまりん」を地震が襲ったそうです。その次に来た日、m氏は「大西さんは神(ユタ)ですか」と真面目になって聞く姿を見て、渡具知裕徳氏にハチ(初)ユタ誕生と冷やかされています。
 テント村には、トートーメーを信じる人も、神や仏に仕える方々も日本全国から参加しているのも大きな特徴で、神々の共同行動とも言えます。

  (04年8月記)

 テント村のミーティング
 テント村はヘリ基地反対協議会の責任で運営され、平和市民連絡会の全面的協力、基地県内移設反対県民会議の支援を得て継続されています。朝9時、ほぼ毎日、テント村の歴史と意義、情勢の分析などのミーティングを行います。
  私たちが、テントの生活に入って2639日プラス100日を迎えました。この間、那覇防衛施設局は26回現場に現れ、最近では午後3時30分とパターン化してきました。私たちが「整然と座りこみ、非暴力と平和的対話」を貫き日々行動すること、それは華やかなものではありませんが、確実に広がり、共感を呼び、世論を形成します。県議選前の琉球新報の世論調査で基地移設賛成7パーセントに落ち、辺野古移設反対が6割以上になりました。参議院選挙では辺野古移設反対を明確に政策と掲げ、テント村に幾度も足を運んだ糸数慶子さんが勝利したことが証明します。
  現在は、整然と座りこむことでいい情勢ですが、那覇防衛施設局が業者を大挙引き連れヤードの建設、潜水調査及びボーリング調査を強行するとき、私たちはスクラムを組んで阻止行動を行い、機動隊の導入についても具体的戦術を配置します。ですが、いかなる状況でも手を耳から上に揚げず、スクラムを組んでください。テントには戒めのために阿波根昌鴻翁の写真を掲げています。
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(阿波根さん100歳記念写真02年)

  阿波根オジーは、日本政府の沖縄政策を「非理法権天」といいます。非道には理性で勝ち、その理性は法の力で抑えられ、時の権力は法を自己の都合に利用、改悪します。
  ボーリングの強行は「非理法」の日本政府の姿が象徴的に現れているではありませんか。天とは人であります。その人は個性を持ち考え方、役割も違います。人間の5本の指もそれぞれの役割かありますが、ひとつになるとき、人間はどんなことでも成し遂げます。
  私たちのテント村も、個性を持った集団で、組織に入っている人も、そうでない人もさまざまですが、5本の指のように団結すれば、必ず「非理法」の政治に勝てます。私は村の人から「動かない山も動くのですねー」と言われましたが、恩納ナベ「恩納岳あがた私ん里が生まれ島、森を押しのけてクガタなさな」の強い力を感じます。
  整然と座り込むと言うことは、前線で防衛施設局と話し合っているとき、不測の事態が起こっても、極端の例ですが、私が逮捕されてもテント村の責任者の指示に従ってください。
  初めてこられた皆さん、「初めて参加される皆さんへ」をよく読んでください。テントの周りでは名護署の公安がウロウロしています。私たちと那覇防衛施設局が交渉しているとき、テントから出て写真を撮らないでください。公安はカメラを向けると公務中、プライバシーの侵害と挑発します。彼らは、公務執行妨害、威力妨害罪などを適用するために、虎視眈々と狙い、私たちの闘いを暴力的に描き壊滅させるのが職務なのです。
  非暴力の闘いとは世間一般の常識的行動を作り上げて行きましょうと言うことです。漁港は海人(ウミンチュウ)の神聖な労働の場所、その神聖な場を勝手に歩いたり、暴走したり、注意されたりする行動をしてはなりませんし、歩道を歩いてください。どんな小さなトラブルも自分勝手に解決しないで責任者が責任を持って解決に当たります。
  この座りこみ行動はヘリ基地反対協議会の提起で行われ、共感するものが参加しています。私どもはこの闘いのなかで一人の犠牲者も出したくありません。おじー・オバーたちは「いざという時には命を賭ける」と言いますが、その前に、中止をさせることが私たちの使命ではないでしょうか。

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 (現場交渉)


  命育む海と銀蝿
  嘉陽のオジーは「司令長官、病院でリンゲル打ってきたサー」とテントにやって来ます。小緑のオバーもそうです。私どもが今は平和だから家で休んでと叱るのですが「娘がヨー、家にいたらカニハンジル(ボケル)から行きなさい」とジンブン(知恵)が出てきて心配なのです。92歳のヨシオバーは心配で、心配で、午後になると歩いて来るのです。
  私どもの闘い、この思いに応えるためには闘いの原則をきちんと堅持し、闘いを発展させなければなりません。
  私どもは、防衛施設局と対峙、応対するとき、アスファルトにムシロを敷いて議論します。南国の太陽で熱せられ焼き尽くすなかですが、理性と論理を大切に平和的対話を大事にする非暴力の姿勢を貫くためです。ある日は、オジー・オバーの思いを直接聞かすために那覇防衛施設局をテントに案内し、お茶を出しての会談となりました。
  穏やかな眼差しで防衛施設局の説明を聞いていたヨシオバーが「戦争中この海がなければ私たちは死んでいた。海の幸が自分たちの命を育んだ。私は5人の子供を大学まで卒業させた。この海の幸があったから主人を失っても子供を育てることができたのです。ここに基地を作るということは、あなた方にどういう利益があるのですか」と孫を諭すように話し出しました。
 『久志誌』『嘉陽』など読んでいると漁業という概念がないのが特徴で、ピシー・イノーは村落共同体の海の牧場、海の畑であることがよく解りますし、辺野古漁港の船は漁業権のある漁民より一般の船が多いのが証明します。ですから、作業ヤード建設予定地の大浦湾から辺野古、屋嘉に至るリーフとイノーは日本の500の湿地に指定、沖縄県が指定するAランクの海域保全地帯なのです。私は沖縄のイノーとリーフは海と陸の生態系の循環、生物の恋の場所と説明しています。
  ある日、私どもが那覇防衛施設局と激論している場に、退院したばかりの嘉陽のオジー来て
「いま、病院から帰ってきた。病院にいると親戚や友人が見舞いに来てうれしい。私は旧日本帝国海軍の出身だ。戦場で怪我をしたとき見舞い客が来る。誰だ」
と防衛施設局の一人一人に答えを求めます。終戦直後、薬もない時代、子供たちはよく怪我をしたので、私は誰か解っていました。沈黙のなか、嘉陽のオジーは「銀ハエだ。戦場では蛆虫のわく傷口に銀ハエだけが見舞いに来るのだ」「ボーリングするときはこの年寄りをスクーリンに巻きつけて出航しなさい。海軍兵士は海で死ぬのが本望だ」と淡々と語りだし、嘉陽のおじーの迫力で、22回目の交渉は終わりとなります。

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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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