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基地で潤う人も?ー琉球新報社説から何を学ぶか

事実から沖縄を見る

私の原点
 私は宜野湾高校・普天間高校生の「普天間返還都市構想」から、教師として基地を返還させて沖縄の未来を描く大切さを学んだ。宜野湾高校・宜野湾海浜公園は基地「マーシー」の返還地にできた。続いてハンビー飛行場、茶谷と新しい街、那覇新都心ができてくる。
 ガイドや授業の中で「デモ、基地で潤っている人もいる」が総生産、国民所得など資料見せても「必ず」、出てくる。基地の「呪縛」「科学」性のない過去を引きずっている。
 琉球新報社説にいい記事が出た。資料に掲載する。

新報社説

基地返還計画 軍事から経済発展の拠点に
2010年1月11日
 県が年明けから在沖米軍基地の機能分析を始めている。「軍事基地から戦略的対話の地への転換」が視野にある。米軍普天間飛行場移設問題で9日、やっと、官房長官に「県外移設」の実現を求めた仲井真弘多知事だ。今秋の知事選を前に起死回生を図る狙いもあろう。
 だが、戦後一貫して県民を苦しめてきた米軍基地の被害と負担軽減を図る米軍基地新政策の準備作業だ。大いに注目し、期待したい。
 
 米軍基地問題に対する県知事の姿勢は極めて重要だ。基地を容認すれば基地は固定化され、米軍犯罪も増える。反対すれば日米両政府は整理縮小に動き、犯罪も減る。そんな歴史を県民は経験してきた。
 
 例えば、いま騒がれている普天間移設問題もしかりだ。米軍の論理では、海兵隊の実戦部隊と訓練地、ヘリ部隊は分離不可能で、「普天間返還は困難」とされた。
 しかし、1995年の少女乱暴事件を契機に、当時の大田昌秀県政が2015年までに3段階に分けて在沖米軍基地の全廃を目指す基地返還アクションプログラム(AP)を策定。大規模な基地跡利用を含む「国際都市形成構想」、脱基地経済と自立経済のための「産業創造アクションプログラム」も打ち出し、基地返還ムードを一気に高めた。
 
 「日米安保の危機」を懸念する日本政府、嘉手納基地すらも失いかねないとの「脅威」が米政府をも動かし、県計画は「困難」とされた普天間を含む11施設の基地返還を打ち出す「SACO合意」を引き出す成果を挙げた。
 政府や本土財界、県内の一部には「米軍基地がなければ沖縄経済は破綻(はたん)する」との固定観念がある。
 だが、県の調査や実際に返還された基地跡地を見ても、ハンビー飛行場(北谷町)のように返還で雇用効果が23倍、税収が50倍、経済波及効果で81倍、牧港住宅地区(那覇新都心)も返還で雇用が37倍、天願通信所も60倍の雇用効果を上げている。
 
 以前はともかく、現在では基地と基地外の土地の生産効率も格段の差だ。普天間基地(基地関連収入約125億円)は1ヘクタール当たり約2600万円だが、基地外の市域は同6700万円と2・6倍。牧港補給基地(同約200億円)も7300万円に対し市域は1億5500万円と2倍の生産効率だ。
 ことしは安保改定50年の節目だ。基地を再検証する好機にしたい。

   (琉球新報)
 
 ヤンメームン名護市長選挙情報
  連休3日第行動
11日は那覇で葬儀があって活動できない。昼食を取って名護に向かう。北海道のツアーが辺野古・高江激励の後、稲嶺選対激励したい、その案内の約束ダメになった。電話で確認したら後援会事務所訪問したようで、私が嘉手納に着く時間帯と同じ時間、安保の丘につくので会うことにした。カメラバック開くとカメラ本体がない。事務所に忘れてきたのだ。沖縄は何が起こるか分からないからカメラは7つ道具だ。
 選挙嫌がらそろそろ起こるから、なお離せない。
 定年退職後
  陶芸をしているOさん 電話作戦
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 11日、毎日のリズムの昼寝がないので眠い。読谷やちむんの里尋ね、友人の展示室でコーヒーをお願いして、疲労を取る。
辺野古の闘い交流が多いであろうと大きな皿頂く、思わぬ激励だ。睡眠の場所提供だけでなく、高価な作品を頂く、どこでも眠れるように名袋をいつも持っている。闘いの7つ道具の一つ。新しい闘いの道具を得た。文化的にも豊かな気持ちで。

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 (Oさんは沖縄ヤチムン会の事務局長、『やちむん』(9号200912月)に「大切なものを失ってはいけない」に私の手記が掲載されている。)(原稿用紙30枚)
 なんで大西が陶芸だ。不思議がる。辺野古では生物の先生?漁師? 高江では営林署退職?なんで大西が?
もう、慣れている。


 1月12日稲嶺ススム総決起大会
   沖縄は一つ

IMG_20100107230519.jpg
 今日は宣伝カー1台独占してマイクを握るのだ。カメラ忘れずに



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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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