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ああ喜如嘉ーイジミ(大宜見)散歩

<span style="font-size:large;"> 平野官房長官の狙いは
   仲井真知事に公有水面埋め立てを
    食い逃げ許可させること
 
平野の「許認可」が「合意」-法手続き
今日の新聞読むと、民主党政権の狙いは評価書広告縦覧、知事の公有水面埋め立ての法的手続きさせ、仲井真知事はうずうずしている。仲井真には次期はないこと見越した民主連立政権の腹だと読める。
 環境省もアセス法の改正やると報道、防衛省・環境省の合作見えるようだ。さまざま動いている。今、新法案示せば違法辺野古アセスが国民に見える。食い逃げ含めえげつない民主連立政権。
 高江も本訴訟に入るであろう。すべて、連動する。
移設論で国民の目くらまし、いい加減にと思う。
 手続きは一人(知事)と防衛局長で独裁的にできる。13年前の比嘉鉄也の受け入れがそれだ。
日米同盟、抑止力など唱えれば唱えるだけ、安保条約の腐食の深化深まる。

大宜見村9条の会で講演、道筋の写真撮った。
 大宜見村散歩をしよう。
 
大宜見村入口
  前田食堂
 大宜見村の入口は、津波部落の「前田食堂」で始まる。人気は牛ソバ。

 (解説と写真説明は12:00までに行います)

 小さな村の片隅の食堂が全国に有名、店拡張しおしゃれにしない。この津波は島田、前田、藤村、松本などヤマト姓が多いのも面白い。部落の中にはビーチロックで作った塀、フルヤーの遺跡も残る。村の北には干潮になると「ビーチ・ロックの天の橋立」(後述)が見える。(沖縄戦中は糸満の疎開地)

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 雨の塩屋橋から
  ウンガミ(ウンジャミ)の村
 塩屋湾は部落内の森(手前)に登って眺めるのがいい。雨で車中から撮った。湾内・湾外・砂州・橋、沖縄戦では渡野喜屋事件(日本軍の集団虐-現在白浜集落、拙著「仲村仁王虐殺の碑を訪ねて』に詳しい」など一望できる。ウンガミの船の出る田港のウタキの巨木を見て、山の上のホテルを回り「沖縄の万里の長城」(イノシシ垣根)に触れ、山里の村キンナー部落で沖縄一と言われる桜を見るコース(半日)、カルストの面白さ、本部半島などの絶景がいい。
 今年の夏、全国総体の漕艇競技会場。国体では沖縄チームの監督を務めた。

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 大宜見村道の駅
  教え子たちの親たちなど
 道の駅、高校時代、ここは畑、小さな滝に故郷に着いたと安堵する。滝を入れたら全景入らない。村の農産物が満ち込まれる。今は、ミカン類、シークワサー、大根など、マーヤムン(山芋)が並んでいた。懐かしい。ヤムン(琉球芋=薩摩芋、嘉手納道の駅に野国総官碑が移されている。芋の歴史学ぶ)は一般的太平洋・アジア地域の代表的な食糧、ターウム、チンヌク(サトイモ)、タビオカ含めて一つの食文化圏を形成する。塩辛文化、豆腐文化含めてみると面白いと思う。名護の学校で「世界一の良質の澱粉、世界一のチーズが北部で生産されている。それ?」と教えていた。
 ヤムン(ウンム)、ミカンコミバエ根絶作戦に続きヒームシ(イモゾウリムシ)根絶作戦展開中。成功すれば沖縄はイモの一大産地になる。芋が農産物として県内トップの県も少なくない。昔はイモで豚養った。芋の加工品も多彩になるであろう。
 伊藤嘉昭博士(10月ごろのブログに書いている。日は?)の業績、沖縄が日本の果樹を守っている偉大な財産も思い出そう。沖縄県農業試験場の若き研究者に感謝の日は近い。


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 ウジミデークの根路銘
  人工ビーチと村の家―人物生みだす
 アメの中、根路銘部落の海岸に出た。北部振興策で人工海岸を作っている。イノーに伸びる防波堤から撮る。雨でも砂が白い。沖縄の砂は雨で緑の色になる。明らかに外国の砂である。手前の砂が浸食され、モンパの木の周辺は海岸らしい斜面。屋我地橋に砂州が伸びている。浸食された砂はそこに堆積、モクモウの林が伸び陸が形成されて沖縄有数の「天の橋立」ができそうだ。塩屋の砂州と比較する目が必要。現職の時代「海に木を植える」と教えたことが見える。
 大宜見を「ウジミ」と言う。特に、根路萌銘はウイジミデークと言われ宮大工並みの評価。へたくそは「ターバーゼーク」(へたくそ、田場)。
 フクギで囲まれた代表的な集落。古い家を見学するのも散歩にいい。幸い道も広く、旧国道もある。
 沖縄の糖業の海の親、宮城仁四朗はじめ、経済会、政治・文化・婦人運動家、教育者は少なくない「財産は教育」の伝統があった。ウジミは戦後沖縄のさまざまな分野を輩出した。この村から上原に登るとシクワーサーの里。心洗われる風景に出会う。開発の負の世界も見ることができる。村のカルストの山から南北に連なる沖縄を遠望するのもいい。
 森の中に咲いた1株の桜も風情がある。喧騒な祭りで見るより桜だ。


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 軍用道路1号線
  大宜見の村
 車で国道を走るのだけではなく、旧軍用道路に入ろう。村が見え、生活史が見える。


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 軍用道路1号線
  大宜見の村
 車で国道を走るのだけではなく、旧軍用道路に入ろう。村が見え、生活史が見える。

 「ぶながやの里宣言」の村
   憲法9条運動にこの世界を
 大宜見小学校を過ぎると、村役場、農協、昔の人は「やんばるぬ旅や幾たびんさしが、見る影ネーラン山と海」と詠んだ。車で国道走れば今も昔も同じ。
 大きなクワーデーサー、大正期の西洋風のモダンな旧村役場、森の上に新しい村役場が重なって「ぶながや宣言」碑が建っている。
 「お化けのQ太郎」でおなじみのキジムナの大宜見版、ヒジムンと呼ぶ地域もある。幼いころ、旧の正月16日(グソウーの正月)、子どもたちは重箱1個のご馳走がもらえる。裏山に竹、シダなどの葉で小屋を作り、ヒジムン(ぶながや)と一晩過ごした。森や田園、インナト(海辺の湿地)に棲む、沖縄の精であり、かわいい妖怪である。
 「平和と自然を愛し、森や川の恵みを巧みに利用し・・不思議な生き物である」、この宣言は精とともに平和を生みだす村の21世紀の生き方を示す。
 なお、旧暦の16日は、沖縄いや日本中にいる村人が祖先の眠るお墓に集まる。シーミーは1門で日日は決まる。交通渋滞の日である。
 この宣言、辺戸岬の「復帰闘争記念碑」の中に9条の生きた世界がある。また、柳田國男の「東野物語」の沖縄のやさしい妖怪の姿がある。マジムン(悪霊)も沖縄では生活の一つである。


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 「笑味」のお店
  やんばるの自然の店
 国道に戻らず。大兼久部落を直進、国道出る手前に食事の店「笑味」がある。
 お勧めします。
  お土産の品「笑味の麺」などあり、旅の味のために。


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 沖縄3大寒冷地辺土名高校
  私が造った庭と防風林
 辺土名高校は沖縄最北端の高校、母校である。赴任は1,978年異例の9年勤務。想いで多く社会科教師として自立した時期であった。復帰後沖縄振興開発で道路とダム建設で滑降前も大きく変貌。防風林および農地も消えた。北風が容赦なく襲う。私が赴任した頃。生徒会は1月クラス対抗のサッカー大会を行う。担任はあまりの寒さに応援できない。ソフトテニスが伝統的に強い。沖縄が高校総体に参加できた1959年女史は沖縄代表、駅伝も連覇が幾度もあった。水泳は10連勝中であった。
 冬に野球、テニスができない。40周年の節目を利用して植樹に本格的に乗り出した。村の人たちの知恵から学んだ。
 フクギ並木は回りの村のフクギをとり木その下に種をまいた。(外から見る)
 国道工事、根路銘磯、護岸工事で岩や石が割られる。国の了解得て学校に石を運び庭園風の校門を作る。塩風で当時の木は少なくなったが石は残る。クワーデーサーの並木を作り、体育、部活動で休むも影も作った。
 
今度は沖縄国体(漕艇競技指定校、沖縄で漕艇競技初めての競技)で船の免許持っているので協力依頼され、9年間母校で。(植樹記録は『学園にロマンを求めて』に収録してある)
 吹き付ける潮霧、太陽が出ると塩漬け、消防並みの散水法ホースで洗う。冬の手


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(続くーハイカラ民族ー芭蕉の里チジュハ」

芭蕉布の里チジュハ(喜如嘉)
 ハイカラ民族

是から北
 チジュハ板敷海岸
 9条の会の講演でチジュハに向かいながらカメラを撮る。政府もメデイアも市民投票・名護市長選挙の民主主義を日米同盟圧殺するのか。日本の地方分権の理念の中で、沖縄は日本ではないとするのか。
 辺土名高校を過ぎると磯の森があり、チジュハイタビシ(板敷き)に沿って国道は直線。イタビシ(ビーチロック)が海岸に伸びる。干潮になると石にコカ・コーラーやホォークが石になっている。石が成長する不思議な海岸。津波に「天の橋立」のように伸び是から北の海岸、イノーに見られる。サンゴ(石灰岩ではない)。
 高校3年間通った道。今、この道沿いにしゃれたレストランが建つ。「ぶながやのレストラン」である。


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 火葬場と宮里悦
  女たちの辛い49日
 私の小さい頃、人が死ぬと海岸にガンヤーと言う死体置場があった。49日まで棺桶で腐れさせる。まだ、肉の着いた骨を洗うのは女たち。沖縄の婦人運動の宮里悦女史が沖縄で第1号の火葬場を作った。大宜見村の火葬場である。沖縄女性史にとって画期的な出来事と聞いている。新しいものを取り入れるチジュハをハイカラ民族と称した人がいた。


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芭蕉布の里チジュハ
  青春のさまざまな想いをこめた村
 チジュハが好きな人は少なくない。芭蕉布の里。浦添美術館では重要文化財の平良敏子さんらの作品展が行われている。家内は紅型の服を着て鑑賞に出かけるという。(結婚祝いに買った)
 高校時代、東海岸の同級生はチジュハなどに間借り、下宿をしていた。よく、遊んだ。平良敏子さんがまだ有名にならない頃、平良家でも遊んだ。隣が沖縄の医学に貢献した平良真順博士の生家で胸像が建つ。
 同級生に宮城久輝(故人)がいた。彼が死んだ時、彼の遺影見るのが辛くて、やっと、足が動いたのが49日であった。
 彼に祖父金城か助(天野、沖縄の会の研究の開拓者天野鉄夫は長男)の昭和6年の大宜見村の村政革新運動の新聞スクラップを見せてもらった。
 高校時代、村のおばーさんたちが『インターナショナル』「聞け万国の労働者」歌っていた記憶も残っている。オルガナイザーの上里春生を女性たちがかくまったのも平良家であると聞いている。上里は伊江島の出で、三木露風の愛弟子と聞く。ピョニール的学校も開かれていたと聞いている。
 山城善光『山原の火』
 村の掲示板を見てチジュハ散策してみよう。喫茶店もあるから軽食ができる。


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社会主義の思想が実践的に広まった村、翼賛会が最初に結成された村。戦後は社大党の村、新しいものに飛びつきながら、芭蕉分の伝統を守る村。火葬場発祥の地チジュハ。
 イタビシの夜、親しき友(女性)と帰る。チジュハは青春の村。


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  放浪の文学者池宮城積宝
   心のふるさと
 高校時代、チジュハの森(宮)でよく遊んだ。巨大な松があったと記憶している。約100段の階段は昔のまま、サンダンカの花の並木に桜が咲いている。頂上に着くと広い公園風になっている。高校生の頃、池宮城積宝の歌を、声を出して叫んでいた。
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かっては、セメントであったように思う。石碑を見ると1963年11月3日の建立になっている。積宝は関東大地震前、啄木歌碑第1号が建った年、渋谷村に向かっている。(大西卒業62年)
  かにかくに渋谷村は戀しかり
  おもひでの山
  おもいでの川
    石川啄木「一握の砂」
  ああ喜如嘉
  かの山村生まれなば
  少しこの世が楽しくありけむ
    積宝
公民館によって山城善光などのこの村を讃える歌が掲示されている。2階には平良真六(故人)の歌もあり。
対馬丸の啓子ちゃん。平良啓子さんとお茶を飲みながら人生を語るのもいい。多くの人たちがチジュハ村全貌できる平良家で安らぎを求めて足を運ぶ。

  チジュハ海岸に
  「海上の道」
 チジュハの村を回った。キジムナ―など、東野に似ている。海岸に出た。柳田國男の伊良湖の海岸をおみだす。柳田の日本民俗学の「ヤシの実」は、島崎藤村の師となり、日本の代表的歌となる。「ぶながやの里」の海岸には球浮が無数に流れついていた。


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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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