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昨日は旧正月でしたーアジサシ最終回

 「里の春」と「里の秋」
 彼岸桜の前線は南へ
 彼岸桜は北から南に桜前線が進む、山から里に桜は降りて来る。八重桜が南、里から山に上る逆で、紅葉と同じように思う。
 私に家の前の道路に盆栽のような桜が葉桜になった中で、ひと際、目に映る。これ以上に成長しない不思議な桜である。
2月14日は旧正月、おそらく、港や漁港は大量旗を掲げて入るであろう。ショウガチビーサ(寒さ)、ワシリビーサ、ウムイビーサ経て夏のウリズンを迎える。

001_20100214121841.jpg
(家の前の道路に咲く桜、車の向こうの桜は葉桜、14日)
 曇り小雨、寒い、オクラ、シシトーの種をポットに捲き、シブイを植える。肥料は辺野古に行くたびに枯れ草を運んで堆肥とする。狭い庭を有効にゴーヤー、ナベーラは順調に育ち、夏は葉野菜が少ないからあいている庭にインジャナバー、モロヘイヤ、ハンダマ、ビラなどで十分、夏の準備に入った。
 「里の春」で思い出す
   「里の秋」
 1994年10月17日、長野松本から安房峠を経て高山に向かっていた。紅葉が里に降りて来る。里の秋を口ずさんでいた。『語り継ぐ戦中・戦後』(労働旬報社1995年)に「伊江島に建つ太陽碑」を書きながらの旅で、紅葉が美しいので、急遽、平湯温泉に宿を取ることにした。山から里に紅葉が降りていた。露天風呂で夜の紅葉を見たかった。出版社から送られた見本原稿「里の秋」を見ながら編集内容を吟味して書いた。後に『沖縄の太陽物語』として出版する。
 この旅は、岐阜県阿木高校の沖縄修学旅行のガイダンスも兼ねていた。教師たちは馬篭の里に宿を取ってくれていた。中山道の宿の庭に
  送られつ送りつ果ては
    木曽の秋
     松尾 芭蕉
  「これより北 木曽路」
   島崎 藤村「夜明け前」の碑文が紅葉に浮かんでいた。
 (「沖縄の太陽」は伊江の小学校で演劇として上演される。近日中に書きます)
 
 昭和16「夜月夜」として書かれた斎藤信夫の詩は、1945年12月24日、海沼実作曲、川田正子によって「里の秋」として戦地からの復員者を迎える歌として歌われる。並木路子「リンゴの唄」とともに敗戦後の代表的な歌である。沖縄の太陽の主人公の父親も南方戦線で戦死している。
   さよなら さよなら 椰子の島
   御船に揺られて 帰られる
   ああ 父さんよ御無事でと
   今夜も 母さんと 祈ります
 千葉県上東町に碑文が建っているようである。
「赤い靴」(2月5日)でも書きましたが、童謡、碑文など調べていくと意外な物語が出来上がる。
今、不適格教師の話題が少なくない。斎藤信夫も千葉師範を出て教職にあったが、再教育の対象で、敗戦後も教師についていなかった。不適格教師が多いということは感性的豊かさが教育の世界で消え始め、画一的教育が支配している証しではないか。
 海沼実の童謡を口ずさんでいたら隣の庭に『みかんの蕾の庭」。
もうすぐ「みかんの花咲く丘」(1946年)が聞こえてくる。
みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道
はるかに見える 青い海
 お船がとおく 霞(かす)んでる
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 (隣の庭にみかんの蕾がいっぱい)

(続きーアジサシ観察最終回)
 しばらくして、大浦湾・辺野古のサンゴに入ります。


 アジサシの餌取りと飛翔
大海原でアジサシを肉眼で観察すると点であり、素顔が見えない。カメラに映し出された映像を見ると何かが見えてくるようだ。

 アジサシの餌取りは体ごと海面に叩きつけるようにダイナミックである。その割には成功の確率は低い。船の上げ「頑張れ、頑張れ」と励ます。
 太平洋のうねりはリーフ近くで大きくなり三角波状態で撮影の成功率も悪い

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 ベニアジサシが主流である。よく見るとエリグロアジサシが混ざっている。
中央海面2番目がエリグロアジサシ


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 (大浦湾中ビシから、辺野古弾薬庫、辺野古岳 仲本政幸 8月2日)
 二見橋背景に
 左、橋上空に番目がエリグロ
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 (大浦湾中ビシ、仲本政幸 8月2日)
 アジサシの集団飛行IMG_0003_20100213222721.jpg
 (平島沖東岩リーフ上 牧志 治 8月5日)
  ベニアジサシ激減
    エリグロアジサシが占領か?
 8月5日はベニアジサシ群れていた。12日は激減、エリグロアジサシが占領。赤道向けて旅立ちか。この間に旅立ちが始まったと考えられる。エリアジサシの雛は5日の確認だから、どのコロニーも動いてない。
 05年の観察記録を超える観察ができた。旅立ちの日もほぼ特定出来た。今年は赤道越えてどれだけの群れで来るのか期待は膨らむ。
 沖縄防衛局の「重要な繁殖地とは思わない」の見解、アセス法に基づいた複数年調査は、ジュゴンのみならずアジサシにも言える。台風時の調査も意見書には全ての分野で指摘されている。04年以来、台風らしきものは辺野古に来襲していない。
 サイトから研究者の報告、特に、エリグロアジサシに関すると、辺野古のアジサシは、私の観察では「重要な調査対象」と言える


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 平島で観察できない
   アジサシの営巣
 平島の南西に、海底トンネルがある。小魚が集まり、サヨリ、ダツの群れが観察できる。海を案内する時、波が穏やかな時には海底トンネルまで平和丸を操縦して魚の群れを見せる。トンネルの岩に毎年、アジサイが岩から飛び込んで魚を取る風景が見られた。
 09年、アジサシは増えたが、見られない。防衛局の準備書でも長島に次ぐ営巣地である。アジサシのいない平島は不気味な島になっている。原因は何か。


 今年の調査の再開は
  5月1日(土)から始めます。空中での交尾も見れる。

 
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  (写真、大西 照雄 8月12日)

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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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