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高江散策(1)-立て看板論争とキャラウエー旋風

高江においでよ(1)
  高江から沖縄が見える
私の高校時代まで高江は「タケーアラカー」と言われ陸の孤島と言われた。中学の修学旅行は高江から奥まで、獣道を歩いて3泊4日の旅であった。高校卒業の年、クラスで自分たちが生まれ育った森を刻もうと、卒業記念に「三村<大宜見、東村、国頭村>徒歩旅行」を学校の許可なく行った。奥から阿波まで1周道路開削中の道を歩き、阿波からは獣道を歩き、いくつかの川を越え、現在の揚水ダム展望地上がってきた。高江小中校の教室に寝た。飯はそれぞれの地の親たちがシンメーナベで作ってくれた。
 高江に電話がなかった。ルムン(コンゴー―民主共和国独立指導者)のあだ名の付いた大城貞昭君(故人)が「高江に電話」と新聞に投書して電話が設置、そして、軍用1周道路の開通で北部の森はベトナム戦争に直結する歴史を歩み、私は沖縄返還闘争、ベトナム反戦の大きな渦の中に吸い込まれ、今日に至る。
 高江森の道の駅
  土日はオートーバイの群れ
 高江の森の駅(共同店)の風景。人口約150人。カーブが多いので気をつけてください。左側から追い越すライダーもいるので注意。今月からつつじ祭りもある。

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 森の中の食堂
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 アヒル牧場と食堂009_20100223125724.jpg
 癒しの宿010_20100223125738.jpg
 おそば屋さん
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(続きー立て看板論争)
高江と辺野古闘いは一つ。 

ヘリの爆音が
  村に恐怖を与える。
 SACO合意、阿波訓練所返還の代わりに高江にヘリパット(6)建設。ヘリを対象としたものではなく、MV22オスプレイの「普天間配備」、ヘリパットはすで数か所にある。防衛省担当官、私の「空飛ぶ棺桶」「未亡人製造機」に新しいMV22は安全と言った。
 04年8月12日、辺野古交渉、同じように普天間ヘリ安全と言った。翌日、沖縄国際大学に落ちた。アメリカ盲信は防衛省の骨の髄まで沁み渡っている。
  高江のヘリ
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 辺野古のヘリ洋上着陸訓練(揚陸艦ジュノーかデンバー約17000トン士官24、兵員394、海兵隊900人、佐世保母港、エセックス約40000トン士官73、兵員1009、海兵隊1800人母港同)
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 「死ぬ気で」
  「キャラウェー旋風」を想起させる
 平野官房長官「斟酌しない」「地政学」、政府高官「死ぬ気」発言は米軍占領下、キャエアウエー高等弁務官を想起させる。1961年赴任、人民党機関紙「人民」出版弾圧、沖縄教職員会「愛唱歌集」出版配布禁止など軍事植民地政策の圧政を強めた。
 1963年「ネズミは猫の許す範囲内でしか生きられない」と、沖縄の政治的自由など「自治は神話」と弾圧体制を強め、「キヤラウェー旋風」と言われた。大統領はケネデイーで12月暗殺され、ケネディー大統領のもとで政治、人権弾圧、数々の犯罪と裁判所介入、2月22日ブログ「死者に弔意・・」の背景である。
 平野「斟酌」、真部沖縄防衛局長の高江発言と行動、北沢「地政学的」基地優位(基地宿命)は、民主主義否定、「沖縄には自治」選択権はないとする前触れに感じる。
 民主党政権に「キャラウェー旋風」を感じるのは、私だけではあるまい。高江の道路の開通で北部の山が直結したのもこの時代。
 高江N1テントを上から見てみた。テントの中の様子、緊迫感感じますか。


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 現場の論争
 海兵隊に国道捧げるの
 現場で防衛省職員と多面的な論争をする。私は現場の状況から議論を挑む。
大西:「防衛省は米軍は国道に出てはいけない立て看板(US MC)を撤去して、禁示(NOTICE)の看板に変えたのか」と放置状態で樹を枕にしている看板について聞いた。
防衛省:「海兵隊の看板である」
大西:「11月までは那覇防衛施設局の看板で、海兵隊が国道を使用して訓練することは違法だと国民に教える優れた看板で合った。なぜ、変えたか。私のブログに11月ごろ紹介している。なぜ、撤去した。海兵隊に国道の自由訓練認めたのか」
防衛省「海兵隊が・・・・」
 
 お互いに、放置された看板で確認することになった。確認結果、裏と表になっていて「那
覇防衛施設局」となっていた。防衛省が何らかの指示で沖縄防衛局に捨てさせ、ついで
にUSMCを表にしたのであろう。
 「ジャングル」が国道に向けば国民に海兵隊の違法行為を監視せよになり、ジャング
ルに向けば海兵隊に国道に出てはいけませんになる。ところが、どこに向けて、立ってても
 「後方」の解釈が難しいのである。英語は知らないが見る人の後方はどこだろうか。誰に告げたいか。
 この地域には米軍海兵隊基地の「MC」のコンクリート支柱はなく、「沖縄県」「開発
庁」のみである。
 
こんな場所で「基地に入ったら犯罪成立するか」名護署の公安委に聞いてみた。
 ニングワチカジマヤーの季節、夏の台風で、捨てられた看板が道路に飛ばされたら、
事故の元になるから明日はこの捨てられ、わけのわからない看板、那覇防衛施設局も役所としてない。沖縄防衛局のデモない。
しかも、現場担当は「海兵兵隊のもの」と言う。殺人部隊には人命を配慮しないから、
危険物は安全な場所に捨てないといけない。
 
 ナグヌ公安ヌシンカヌチャー「ぬちやたから」ユタシク。
 この破棄された看板面白いではありませんか。一品の学習資料。歴史資料館に寄贈するのがいいでしょう。


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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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