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マチブイマチブイ評価書・MV22・お知らせ

評価書提出延期
 学際的共同の力の賜物

1999年、稲嶺知事、岸本市長の軍民共用空港受け入れに、私は「地球の生きとし生きるものすべてが名護市民となり」「学際的共同」の闘いになる。辺野古13年、軍民共用空港から10年、平和・市民・環境団体が国内・国際的にも力を合わせた。
 私は平和団体に属するが「環境団体は平和問題に近付くが、平和団体は環境問題に戸惑っている」と結合して取り組む視点を強調していた。
 V字型方法書意見書提出運動、アセス調査、準備書への意見提出のなかで幅広い運動へ発展した。
 
風穴を開けろ
 「ロードマップ」(工程表)は2014年の完成を目指している。通常の常識では2014年は無理である。この無理をアセス手続きでやるには違法と強権、虚偽に満ちたものになる。一つ一つ風穴を開ければ、自ら崩れる。すでに、日本の国民の生活要求・政治要求は国民が政治を動かす実感を生みだす政治状況も進んでいた。
 
 07年8月、方法書を出してきた。個人的には風穴をあけるターゲットを「大浦湾作業ヤード」に絞った。ユビエダサンゴを浚渫するなどの生態系破壊を公然と明言している。保全すべきAランクの海域破壊のもっとも解りやすい。
 環境アセス審査会にも意見書、現場視察などの要望書出し、審査会は現場調査を行った。
07年12月19日、官邸で開かれた代替施設協議会で作業ヤード(準備書から消える)は残ったが「浚渫場所」は消えていた。一つ風穴開けたと思った。追加法書を出してきた。
 準備書。評価書も穴だらけになって、09年政治の激動で縺れて、私のブログでは「マチビマチブイ」(縺れ縺れー日本語では表現できない)と使われている。
 沖縄タイムスを見てみましょう。

政府、評価書提出見送り 辺野古沿岸案アセス
14年移設完了困難に
政治 2010年3月2日 10時00分

(47分前に更新)

 【東京】政府は米軍普天間飛行場を名護市辺野古沿岸部に移設する現行案に基づく環境影響評価(アセスメント)の評価書について、県への提出を当面見送る方針を1日までに固めた。名護市長選の結果や県議会が同飛行場の県内移設断念や県外・国外移設を求める意見書を全会一致で可決した状況を考慮した。提出する場合は移設先の結論を出す5月末以降になる見通し。先送りで現行案の2014年完了は困難になった。

 防衛省は、日米合意の14年までに移設完了させるためには今夏にも埋め立て工事に入る必要があるとみていた。政府は、評価書提出から知事の埋め立て許可手続きに半年以上かかることを踏まえ、今年初めに県への提出を想定していたが、名護市長選の結果を踏まえ、保留していた。

 政府は昨年12月に現行案を選択肢に含んだまま「ゼロベース」での移設見直し作業に着手。現行計画履行の姿勢を崩さない米側に配慮した形でアセス手続きを継続、提出の最終段階に入っていた。


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(MV22オスプレイ)

 欠陥アセスの露呈?
  平野官房・北沢防衛大臣MV22オスプレイに言及
 方法書からアセス手続き秘密と虚偽のデパートであった。ヘリ騒音も方法書に記載せず。調査もせず、準備書後にデモフライトした。北沢防衛大臣MV22「将来的な配備も念頭にあるが・・」と述べ、アセス方法書以前から指摘、政府が否定して来たことを認めた。1日の長島防衛政務官の発言を内閣として追認したに等しい。
 2月24日ブログ「宝の海」で、高江の防衛省責任者と私の論争書いています。防衛省の下部までMV22「安全神話」が行き届いていて、機種に配備を記載しないのはアセス法違反の典型的で、アセスになっていない象徴的な事例である。
 機種に嘘を書いているからアセスのやり直しが求められる。嘘ついて既成事実積み重ねていく、このようなアセスの手法、日本の裁判所、まだ、許すのであろうか。いい加減にしてくれ、法治国家が崩れる。
 
 辺野古アセス評価書が広告縦覧されることは日本のアセスの重大な後退、アセスおよび環境政策の「死」を意味する。憲法の諸原則が沖縄の米軍基地巡ってゆがめられる典型的な事例でもある。
 
 アセス手続き、アセス内容を具体的に暴いてきた「学際的」共同が力になっている。平和運動では安保50年を鋭く問い、環境の面でもCOP10含め、国民の共同がますます大事になってきた。
 沖縄タイムスの関連記事みてみましょう。

工程表順守明言せず 普天間移設
平野氏 ゼロベース強調
政治 2010年3月2日 09時58分

(53分前に更新)

 【東京】平野博文官房長官は1日の衆院予算委員会分科会で、米軍普天間飛行場移設をめぐり、2006年に日米が合意したロードマップ(工程表)で記された14年の完了期限について、「ゼロベースで(移設先として)ベストな場所の検討を命じられている。いろんなパターンがあり、一概に即答することは控えたい」と述べ、期限順守への明言を避けた。

 平野氏は旧政権の13年間の移設問題への取り組みに関し「いろんな仕組みや考え方のもとに関係者が努力してきたことは敬意を表する。過去を全部否定するものではない」と述べた。

 北沢俊美防衛相は、普天間代替施設の滑走路の長さについて「500メートルとか1500メートルという議論に、将来的な(垂直離着陸輸送機MV22)オスプレイの配備も念頭にあると推測するが、今の段階で個別にコメントするのは適切ではない」と述べた。高市早苗氏(自民)への答弁。


 辺野古・高江は一つ
  「自然の権利」の闘い
 高江、6月まで作業はないであろう。ノグチゲラ、ヤンバルクイナなどの生きものたちの繁殖期、生物多様性の日本の宝庫(高校退職3人トリオ伊波義安さんによれば全国比動物50倍)、この生きものたちが権利を要求している。
 高江の竹でトマト、ゴヤー、キューリ、ナベーラ(ヘチマ)などの棚、支柱を作る。現在は化学樹脂などで支柱、網を張りますが、あえて、高江の竹を用いた。
 日々の生活の中に高江を刻むために。
 沖縄戦後、竹を編んで家を造った。沖縄の赤瓦建築になくてはならないのが高江などのヤンバル竹、沖縄の建築文化を育できた竹、農業もそうだ。

  
001_20100302173003.jpg
 (庭の野菜と高江の竹)
(続きーヘリ基地反対協お知らせ)

 
ヘリ基地反対協議会から
 お知らせ
IMG_0001_20100302210449.jpg

辺野古違法アセス訴訟
 3月3日(水)午後1時
   那覇地方裁判所

キャンプ。シュワブ前座り込み金曜行動(早朝)
 第1回 3月5日(金)朝7:30~8:30)
  (毎週行います)

高江訴訟
  3月19日(金)10時30分
   那覇地方裁判所



マスコミ報道余談

北海道教組不正事件
 まだ、1党支持の汚濁にまみれているか
 3月下旬、北海道の集会と講演に行く。北海道は5度目になる。北海道国体、矢臼別の川瀬範二さん訪問、石川啄木歌碑めぐり(2回)、講演などである。
 道教組は日教組御三家(北海道、福岡、沖縄)と言われた。現職の頃、日政連(社会党中心)という日教組の政治組織があり、組合費同様取っていた。私は組合でも最も激しく批判した一人であった。これをただすために組合の役員に立候補して、いつも、破れていた。おそらく、一番多く落選し、沖縄高教組でこの記録を破るものはいないであろう。
 それでも、日教組にとどまって居た。
 1995年9月4日、日教組が安保容認の方針転換の報道、この日少女暴行事件が起こった。日教組の組合員止める決意をして、転勤を契機に脱退。沖縄高教組は全国組織日教組に入らなくても組合員であれた。
 組合活動から平和ガイド、市民運動、歴史の掘り起こしに足を移した。正しかったと思う。一人でも、自由な人間として、自由な教師としてあり続けることができた。現在、パワーハラスメントなる教育用語など出ていますが、新聞論壇で教育庁に呼び出されても組合は、私の言論の自由も守事はなく、教育庁の立場に立ったが、一人自由に闘った。
 無傷で定年退職した。
 ハンセン病学習でも教育行政に嫌がらせされたが、組合に報告することもなかった。
 まだ、日政連というのがあるのか。道教組の不正事件は民主党支持として生き延びて教育と無縁の世界を演じている。人間として教師が組合の方針で1政党に縛られていると、もっとも、多様な人間(生徒)に、多様な生き方を教える感性を育てられない。政治の世界でも多様な選択をすることは、人間の尊厳にかかわる問題である。
 道教組事件は日本の戦後教育の化石であろう。
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普天間基地問題

さて普天間基地問題では沖縄返還協定に基づく密約で自由使用が保証された訓練施設の存在と切り離しては解決不可能なのが現実です。
私が繰り返し説明して来ましたが未だに巨像の鼻先を掴んで押したり引いたりして動かせると勘違いしている方々が沖縄への好意と同情心から本質的な部分を見ずに県外移設を主張される事には正直うんざりしています。
http://isao-pw.mo-blog.jp/isaopw/
沖縄基地問題の本質を見ずに心情的に県外、県外と言うのは、所謂ニュースブログと称するマスコミの記事を貼り付けただけの有象無象の連中と同じ価値観としか思えません。
プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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