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移設論、過去・現在ー勝山シークワーサー花の香りイベント

3月18日(金)ジャンプシュワブ座り込み
  第1ゲート 朝7時30から8:30
  あわてないで、周りをよく見て行動


過去・現在・明日につなげるために
辺野古の闘いの歴史(4)
 負けても、負けても、権力に勝つために

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(庭のツツジ満開です)
シークワサーの花の香り充満 
名護市勝山ー21日~23日イベントあり
 本部伊豆味
 大宜見村上原・キンナー


 (続きーあの小泉にー軍民共用空港から米軍再編成前夜)
軍民共用空港計画頓挫
 小泉「辺野古見直し」まで、

(2000年から05年9月5日)
  歴史地理教育06年2月号

辺野古と環境アセスメント(続) 草稿
  「平和の文化」と非暴力の実践
  負け続けるなかで何を
 この報告を『歴史地理教育』(05年5月号)とともに読んでいただければ幸いです。
わたしの周りの少なくない教師たちは定年の年にクラス担任を希望する。教員最後の年は〇三年度、辺野古の闘いが環境アセスに入ると想定、〇二年度に教員最後のクラス担任をいれ、「現代社会」(三年)を中心に組む。
 八年目に入る「ハンセン病と沖縄戦」野外学習の総まとめ、定年退職記念『わが沖縄総合学習三八年の歩みー腰掛一つに刻む』の出版を目指した。校長には年休完全行使を宣言、夏休みは学校で環境アセスの学習・研究と原稿書きで出勤、有効な行使を試みる。
 12月7日、琉球新報論壇に「石川、金武、宜野座の三漁協は海上基地反対と金武湾再生の共同決議を行った。(略)防衛施設庁が護岸構造と称して、恣意的に環境アセス法を逸脱、違法行為には、沖縄では何をやってもいいと言う差別観が見える」と漁民の動きを讃える。
沖縄タイムス論壇(一二月二七日)「高校の教科書は<われら地球家族。諸国民も、あらゆる植物、そして動物、雨も大洋も、すべての森と海洋の流れによって生きている><われらは、美しい地球と多様性に満ちた生命を保育する>」(「地球憲章」)、「生物多様性保全条約」など、二一世紀の地球環境の潮流と生き方を学びますが、亜熱帯の生態系の多様性は豊かな教材である。(略)環境影響評価法に入った住民は、地球の生きとし生けるもの、地球のすべての生命体が<名護市民>となったことを自覚すべきである」と辺野古海上基地建設の新しい段階を描き、実践を模索する。

愚直な土曜日の蓄積
〇三年四月八日、那覇防衛施設局(以下「那覇防」)は「水産資源破砕」手続きで予備調査に入ったが、われわれはなすすべがなかった。その日以来、土曜日の朝8時、辺野古の砂浜に集まり、浜の清掃、学習、情報交換、人的交流など深めてゆきます。カヌーの購入、ボートの操縦訓練と購入、免許の取得、カヌー訓練など愚直な日々が始まります。那覇防衛施設局のボーリングに関するすべての文書を分析、その成果にたってヘリ基地反対協の対県・那覇防への交渉、議会対策など強化されてゆきます。
八月初旬、「自然の権利」でアメリカにおいて「ジュゴン裁判」の提訴を行うと同時に、9月23日「沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団」(個人加盟、以下「ジュゴン監視団」)を立ち上げる。
11月17日、那覇防は沖縄県土木部河川課に「公共用財産使用協議書」を提出、いわゆるボーリング調査の許可申請で、許可期限は1月6日である。
土曜集会、ジュゴン監視団の学習、研究成果が具体的実践として生きてくる。
那覇防に対しては違法なボーリング調査の即時中止を柱に、県環境政策課、土木部交渉を強め、共同の「学習会」など持ち、環境省・文化庁交渉などに忙殺される。
04年元日、名護平和委員会は年頭の街頭宣伝を行い、旧名護町の半分が聞ける名護城展望台から「海上基地はアメリカ政府高官も要らないと言っている。ボーリング調査も多くの人々から違法性が指摘され、沖縄に対し差別政策を強めるもの、市民、県民が勇気を持って声を出せば必ず撤回させることが出来る」述べ、市内10箇所でマイクを握る。
わたしのポケットにはいつも退職願書が入っていた。ジュゴン監視団、県民会議、平和市民連絡会(33団体加盟)、沖縄を世界遺産に登録する会などが波状的に沖縄県に交渉を繰り返し、東京では日本自然保護協会、世界自然保護協会(WWFJ)などが政府機関への要請行動を強め、那覇防の「使用協議書」は理論的に破綻し始め、沖縄県の許可04年4月6日までずれ込み、無事定年退職を迎え、失うもののない人生に入る。
那覇防はわたしの定年退職にあわせるように、4月一九日未明、ボーリング調査に着手、嵐の日であった。
不敗の論理と非暴力主義
 わたしは、広島大会平和分科会で「辺野古の闘い、わたしにとって歴教協と歩んだ三八年の蓄積は大きな意味」を持つと述べた。
その一は、1970年長野大会、故高橋真一先生は杉本判決に触れ、相手が勝っているように見えても、こちらが勝っている論理と実践の構築、不敗の論理を述べた。
その二は、1972年沖縄大会に『歴史地理教育』特集は「伊江島の闘いの記録」であった。故鈴木亮の労作である。95年沖縄大会、わたしは『沖縄の太陽物語』を上梓、終章「平和への道」に、故阿波根昌鴻翁の「5本の指」の非暴力思想を入れた。
「(略)非理法権天、どんな非道なことも理性を持ってあたるなら、勝つことができます。しかしその理性も法の前には歯が立ちません。そしてその法も、時の権力は自分に都合よく変えてしまいます。けれども天は見ています。天とは何か、それは私達一人一人は小さく、その立場も、また、形もそれぞれ違うものでありますが、そんな私たちが、この指のように団結し、力をあわせて行くならば、どんな困難であっても、勝つことができると信じております。日本の平和憲法を世界の平和憲法にし、すべての人が幸せに、そして平和に暮らせる日を実現しましょう。略」
テント村には阿波根翁の写真が掲げられ、テント村の行動に参加する人には「はじめて来られる方へ」のビラが配られる。
1、 完全に非暴力の行動です。例え、何が起きたとしてもこの原則を貫くようお願いします。
2、 この闘いは「座り込み」です。私たちの行動に賛同いただける方は、まず一緒に座り込んでください。(略)
3、 署名・チラシなどは責任者にご相談ください。特定組織の勧誘等、新基地建設反対以外の行動は原則禁止です。
4、 様々な団体や個人が参加しておられます。それぞれが勝手な行動を取り始めると収集がつきません。責任団体の「ヘリ基地反対協議会」の指示に従ってください。指示に従っていただけない方は、お帰りいただきます。(以下略)
 「平和の文化宣言」のシンボルマークと「5本の指」の思想を対比してみてください。地球の片隅の実践的生き方が見事に吸収され、地球を包み始めている現実世界がある。
 
多様な文化と宗教への寛容
原稿依頼の九月二日、座り込み502日、海上行動348日、辺野古の海では四ヶ所の単管ヤグラの撤去が始まっていた。台風一四号が南西諸島から九州を睨んで北上、地球保全の地球的取り組みにことごとく妨害するブッシュの国アメリカは「カトリーヌ」の猛威に沈没した。小泉の日本も昨年以来自然の逆襲を受けている。
 単管ヤグラの撤去は「小さな勝利、新しい闘いの始まり」、カヌー隊の訓練が始まり、九月4日防衛庁は「人間の鎖」で包囲され、翌5日、外務省、防衛庁交渉の特徴は、アメリカの「抑止力」の強調で、沖縄に安保の傷みを押し付けるアメリカ追従に終止した。
 辺野古漁港の東の岩はニライカナイの神々が座る「トングエー」の拝所でターリー(男神)の神、西の岩はニライの神々を呼ぶアヤー(女)の神が住み、龍神の信仰などが人々の心を支える。
 座り込み初期、テントにユタ(沖縄の心霊者)が指導者に会いたいと言い、アヤーの神の海岸に座らされ、ユタは砂に十字を書き、「北はヌルドゥンチの彼方、南はM氏、西はY氏、東はニライカナイの神々が登ってくるところ(ジュゴンのクチ)、十字に神々がやってくる」と神々を呼ぶ祈りを唱える。M・Y氏はこの闘いの重要な方々、私は国頭奥間ノロの長男で北になる。
 私はユタとともに「闘う人々の安全、健康、勝利」をニライの神々に願った。沖縄の日常には海の神々が深層世界に宿り、海神祭、アブシバレー、シヌグやウンジャミなど非日常の神事文化を形成している。
 テント村では沖縄の歴史、自然、文化など様々な講話が行なわれる。那覇防との交渉でも同様である。
 ある夏の炎天下の交渉、「ニライカナイの神々、沖縄県民の怒りは地下のマグマとなって爆発寸前だ」と述べたら、那覇防での報告中にビルが震度3で揺れたと、次の交渉で那覇防職員が神妙になって明かした。
 八月十二日の交渉は「普天間基地は安全か」の問いに、那覇防は「危険とは思わない」と述べ、「世界一危険な基地、欠陥ヘリ、明日にでも墜落」と指摘したら、13日沖縄国際大学に墜落した。
 辺野古のテント村の座り込み、海上行動には宗教者の働き少なくない。仏を信ずるもの、イエスを信じるもの、アラーの神、寺や教会を越えて、日本各地のカトッリク、プロテスタントの教会ではミサで祈り、辺野古支援カンパが日常的に行なわれる。
辺野古の闘いは「平和の文化宣言」の第八条「平和の文化の促進において鍵となる役割は、(略)宗教団体、宗教的グループ、知識人や哲学(略)」、第一条(M)「民族的、宗教的、言語的少数者へのものを含めて、すべての文明、人々、文化の間の理解、寛容と連帯を進めること」が具体的実践として、宗教の共同が行なわれ新鮮な世界が形成されている。
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愚直な海の行動
4月9日から九月八日までは辺野古漁港からの作業、作業ヤードを使用させない座り込み、九月九日から現在にかけては「座り込み」を原点に、海上における実力による非暴力の闘いに入った。
那覇防の単管櫓ボーリング調査船はP社(六隻)、S社(六隻)が日常体制、一社3・3隻体制のゲリラ戦を組み入れ、P社、O社のスパット台船、スーパー固定ブイ作業船が出動する時は、第11管区海上保安庁の船団を含めて海に森ができる。
 われわれの武器は海の非暴力のシンボルカヌー、調査船団が辺野古漁港を出た。浜では島袋ヨシ(九二歳)を中心に辺野古のオジー・オバーたちがカヌーの安全と勝利のため、敬虔な祈りが捧げられていた。その日以来、調査船団とカヌー隊の愚直な闘いが始まる。われわれの船は4艇、調査船団はボーリング地点の予備調査で西に東にフルスピードでうごきまわり、6・3体制のゲリラ戦を展開する。
 カヌー隊の男性最高年齢は公務員退職のY氏(65)、女性はキリスト教者T女史(71)、両氏とも泳げないが今は海を庭とし1日も休んだことがない。それに、団塊の女性が主力で、日1日青年が増え主力となってゆく。
 僧侶のN氏、断食中、カヌーは北風に沖合へ流され必死に攻防地点を目指す。牧師のM氏シュノーケルをつけ水中に潜る。しばらくすると、調査船のアンカー縄にしがみ付いて「抵抗」、実は誤って海水を飲み攪乱状態が起こっていて、船に引き上げると胃液が口と鼻からあふれ出て、病院へ搬送する。愛知県から支援に来たカメラマンの浅見裕子女史、曳航中に転落「わたし泳げない」と叫ぶ、強風と高波で救助に苦労する。
 「海に1本の杭も打たせない」の想いの強さは、海上行動へと駆り立てる。単管櫓が立てられ機材が乗せられてゆく。抵抗がなければ櫓は1日で建設できる。単管パイプを組むクランク地点に体や腕、手を結び抵抗するもの、体と単管櫓と機材に鉄の鎖で結び暴力的作業をするとカギを海中に捨てるもの、各自の非暴力の抵抗が創造される。
那覇防も焦る。A女史が単管櫓から船上に転落された。現場に急行すると海上保安庁職員が目のうつろなA女史の事情調査をして、中断させ振動の少なく早い調査船で救急病院に搬送させる。
 
砦の闘い
11月中旬ごろになると悲壮感が漂い、チャーター船の確保が求められていた。すでに、ヘリ基地反対協は全国にチャーター船カンパを発信、漁民対策を行っていた。名護平和委員会は平和丸購入の重要性を全国に訴え、日本キリスト教団関係者も船の購入に乗り出した。
一二月初旬辺戸岬を回って国頭漁協所属の漁船2隻が共同の闘いに参加、国頭、東、宜野座、金武、石川の漁民がチャーター船として加わり、漁民の辺野古包囲網が形成され、灰谷健次郎氏は愛船ナイワイ号を提供する。
ヘリ基地反対協の船団が那覇防船団を圧倒する海上行動が展開される。一二月21日、名護市民投票7周年海上デモには約30隻の船団とカヌー隊が出て、ヤグラも完全に「占領」、1月には漁民独自の海上デモも行なわれた。一二月異例の台風23号は辺野古を襲い、ヤグラから機材の一部撤去され、那覇防は台風、嵐、雷などの自然の逆襲に悩まされることになる。
単管ヤグラは海上行動の砦へと変身する。テント村に日本全国を歩いている青年が一晩とめて欲しいという。電機機器、実務に優れていて、トランシバーやビデオカメラの導入などなど多くの財産をのこして、正月に去った。若者たちは日本のマスコミが伝えない中で、HP,メールで辺野古を発信、去っても京都、大阪などの街で土曜行動など起こしている。              国会前の座り込み、月曜日の防衛庁行動には電話で現地報告が伝えられる。日本全国で辺野古行動が展開されている。
政治的には、すでに、座り込み1ヶ月後には県民世論は8割が「辺野古移設反対」に傾斜、今日では8割、9割の世論となって確固たる県民意志となって、小泉首相も「辺野古見直し」を口にするようになり、自公のみが辺野古にしがみついている。
また、米軍再編成が浮上さまざまな移設案が出されるが、われわれは陽動作戦、沖縄及び日本全国の基地強化と警鐘鳴らしている。
辺野古海上には①②③⑤のヤグラか建つ。④は女性たちが死守し那覇防は建設を断念した。毎日、那覇防はボーリング調査を試みる。座り込みテント民主主義は「単管ヤグラ民主主義」として、朝六時、七時にヤグラに配置すると、ミーテングが始まり、作戦も単管の討議で決定される。
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金網の鳥篭は
  海上のホテル
05年1月から4月中旬まで辺野古海上は小康状態に入りやぐらの腐食はボーリングに耐える状態ではなくなり始めていた。マスコミは日米の陽動作戦に乗って諸移設案を報道する。テント村の座り込み、ヤグラ隊も各ヤグラ3から4人に減少する。辺野古の闘いは山あり谷ありで、わたしは心配してない。
那覇防は新しい単管やぐらの建設を試み、西へ東へと疾走する。すでに、われわれはボーリング調査地点を把握しており、カヌー隊の青年は飛び込隊に成長、耳の持病を海になれる訓練で克服していたわたしも船長兼飛び込隊として、ヤグラ建設地点に浮でいる。スパット台船が未明に洋上のボーリングヤグラ台船を下ろした。那覇防交渉日、愛船ジュゴン1号緊急出動、海上には海上保安庁の母船三隻にゴムボート六隻、那覇防船団約16隻、ヘリ基地反対協船団約15隻が洋上を山になって動く。飛び込隊が泳いで女性3人を含む6人がスパット台船に乗り移る。ヘリ基地反対協主力船、グリーンピースゴムボートはエンジンを海中に沈没させられ、海上保安庁ゴムボート2隻体制で拘束される。
ジュゴン1号は海上保安庁の母船に不当拘束を糾弾、拘束船に乗り移り不当拘束の談判、トランシバーのスイチを入れ、ヤグラ、テント村に実況中継する。ジュゴン1号の燃料が切れる。
拘束船の補助タンクは保安庁が強奪、提供拒否、わたしも拘束すると宣言する。保安庁母船三隻に燃料補給を拒否することは海の安全を守る逸脱行為と「演説」、燃料補給と拘束を解除させる。
グリーンピース保安庁に拘束され南風にリーフに流され漂流している。保安庁にエンジンのない船舶は直ちに安全地帯に曳航するのが原則措置で、第11管区は異常、保安庁が安全地帯に曳航するとの申し出、いまさら何かと拒否、ジュゴン1号で曳航する。
那覇防のこの作戦は自然条件、社会的客観条件を無視した無謀な南風の強風はスパット台船、全船団がリーフに流される。辺野古の海を知らない那覇防がチャーターした中部の漁船が座礁、スパット台船のアンカーが切れ、夕暮れが迫って作業失敗となる。
4月26日、未明3時、那覇防は単管ヤグラを二重の金網で囲み「鶏籠」に変え、二四時間作業体制を宣言、24時間の休み無き約2ヶ月の過酷な闘いに突入する。単管ヤグラは海上ホテル、海の夜のキャンプ場に変わり始める。人間が作ったもの知恵で入れる。逆に那覇防は小さな鉄の扉、金網に阻まれヤグラに入れなくなった。ヤグラは満杯になる日も少なくない。単管ヤグラ激励船も増え、英国BBCも環境問題で辺野古に張りつついて取材に入った。
辺野古に関係するすべての団体が防衛施設庁、那覇防への抗議行動が展開、辺野古共同の輪は二重三重の輪となって形成される。
わたしもジュゴン1号、平和丸、単管ヤグラに寝る日々、仲間たちは過酷な条件に耐える。ローティションが綿密に組まれるも、睡眠不足は辛い。年配者、団塊の世代が愚直に絶える。若者たちが体力で頑張り、悲壮観はないのが特徴だ。
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むすび
小泉劇場選挙の中で九月二日、ヤグラ撤去の中カヌー隊の訓練に入った。わたしは、九月五日外務省、防衛庁交渉を行った。両省の特徴は「抑止力」を繰り返した。
小泉首相の「辺野古見直し」は、米軍再編成のなかでの陽動作戦の一つで、安保の傷みを沖縄・辺野古に押し付けるサインで、抑止力を全面に出し定年を迎えた仲村政治議員を比例候補に登載、辺野古は新しい段階に入り厳しい闘いに入る。
(九月五日記)
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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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