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人間のすることかー連立政権の「癌細胞増幅・転移」、過去・現在

 
 日本人の人間性腐敗の象徴か?
 政治家の人間道徳の退廃
  それにぶら下がるマスメディア
私は、「人を信じる、人間を信じる」と、どんな逆境の時も書いてきた。昨日のブログも同様である。この国の政治家、ジャーナリズム、評論家、自公政権、民主連立政権の沖縄政策を「非理法権天」と幾度も、また、書き続けている。
 毎日、痛ましい事件。政治家の道徳的腐敗が、国民の人間的腐敗を醸成しているのではないかといつも思う。
 普天間・辺野古問題、海上ヘリポートを市民投票(1997年12月)、軍民共用空港を非暴力(05年9月)、再編成沿岸計画(06年11月)知事選挙、再編成「ロードマップ」V字2本滑走路計画を環境アセスの闘いで縺れさせ、今日の事態に日米政府を追い込んでいる。
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 (平和新聞から)

 ごく一般的常識的社会通念では、「ごめんなさい、小さくします」「もうやめました」になるところですが、自公政権、民主連立政権も、自らの失態を反省せず、ますます、巨大基地を押し付けてきている。
 勝連沖埋め立ては、V字の3倍、自衛隊・米軍で3本の滑走路、加えて、キャンプシュワブに500mのヘリパット、徳之島に訓練移転、誤るどころかますます巨大基地、範囲を広げてきた。(まだ、確定ではないが)
 ジャーナリズムも評論家も何の矛盾も感じないようだ。暴れるやくざに、もっと暴れろと声援を送っているようで、政治家の言葉だけ伝え、民衆不在である。
(例ーテレビ朝日のO評論家の土下座論、鳩山が沖縄で土下座しても「いらないものは、いらない」、本質は何か)

 最近、気がつくのだが、インターネットニュース見ていると「ぶら下がり」記事なるものが多くなったように思う。この記事しかかけない日本の新聞の「大本営」的性格か。日本ジャーナリスト会議が言い、謳歌する「記者の政権交代」は、これほど貧弱か。迷走しているのは「ぶら下がり」も同じではないか。焦っているのは鳩山政権以上にマスメディアではないか。普天間移転計画が、変わるたびに肥大化することに批判する目もなし。ますます、暴力的になること、批判する知性も勇気もない。
 
歴史を振り返る
  移転論は古くて新しい
 1990年代初頭まで、沖縄の新聞の論壇、声蘭に沖縄の教師の投稿は少なくなかった。大田県政のなかで教師の投稿は減少が始まった。
 
 私が、基地問題で投稿し出したのは1995年3月31日、当時、現在の移転論に相当する「3事案、10事案」と言う基地移転論があり、タイムス論壇「3事案へ軍用地主2世の意見―基地の全面返還は県民の願い」がはじめである。その中で「大田知事の浦添軍港への曖昧な態度は比嘉秀平主席以来、実に40年ぶりの軍用地提供知事の登場と言う危険性を内包するばかりか、公約違反にもなりかねない」と書き、その後、少女暴行事件、反戦地主の闘いで、大田知事は救われるのである。幾度か大田知事を激励、諌める意見を書いて、大田県政の教育庁から呼び出しを受ける。普通の人なら筆を折るだろうが、私の日記には「一所懸命から一生懸命」(『沖縄を教え、沖縄を語り歩いて』ブックレット2、P102、1997年4月)の人生哲学を得る。
 移設探し論に一生付き合うつもりはないが、何事も懸命に生きたいものだ。
 
ハンセン病学習でも、圧力あった。組合も大田県政下、守ってくれなかった。でも、「非理」に理性的に立ち向かい、「法権」を跳ね返して、無傷のままで定年退職を迎えた。
 教育長に呼び出された時、相互理解を得て平和的に解決した。別れに。教育庁側が許せない言葉を言ってしまった。謝罪を求めて、その部屋に、数時間寝ていた。謝罪するまで何日も寝るつもりであった。何しろ、部屋に招待されたのだから、追い出せない。
 私の癖は、高校教師時代から、日記やメモである。過去を振り返る、現在を見つめる糧としている。あの時、現在に移すと、物事が動いている何かが、見えて来る。
 
 その大田昌秀が辺野古陸上案に名を連ねた。歴史は皮肉だ。(3月4日ブログ参照)
 まさに、あの時の軍港移転論が亡霊の徘徊するごとく、V字、勝連沖案にさまよっているのである。
 私は、人間の尊厳に関する問題では一人になっても立ち向かう。軍民共用空港の前期は退職願いをいつも持っていた。当時、ヘリ基地反対協は事務所も持てない状況に追い込まれていた。「信じた」、明日を、必ず・・。
 さて、移転論の諸案の歴史経過を見る時、「人間のすることか」と政治道徳のみならず、人間道徳の退廃を見る思いだ。
 
 1995年の意見書には「がん細胞の転移」「がん細胞の増幅」と書いている。今日の民主連立政権の移転論、まったく、同じではないか。
 今日の国民の意識は「がん細胞の完全な摘出」の名医を求めている。また、ともに、癌を摘出する補佐する医師と情報(メディア)を求めているが、癌細胞移植医師が日本の医者の大勢のような、錯覚のに陥るが、マスメディアも同じである。登場する評論家も同じである。
 
 民主連立政権が、自公政権以上の移転論に執着しているから、アメリカも政策転換出来ないのだ。民主連立政権が辺野古にしがみつくなら、命かけて辺野古に寝るつもりだ。現在は一人ではない。茶の間が全て同志になってきている。
  2週間ぶりに
   母の見舞い
 ヤンバルに母の見舞いに行った。母94歳、辺野古に取りつかれて親不孝もいいところ。母は私を学生の頃から支えてくれた。栴檀の花の香り里山に「栴檀は双葉より芳し」の諺がある。昔は女の子が生まれると栴檀を植え、男が生まれるとイヌマキ、イジュを植えたようだ。
 ウリズンを告げる。夏は栴檀にクマゼミが群れ、子どもたちが群れる。里山にイジュが満開する季節に、民主党政権は現行V字計画を自公政権以上の権力行使で襲ってくる。

003_20100404184206.jpg
(続きー自衛隊基地と米軍基地看板の違い)
基地の看板(北海道報告4
北海道と
 沖縄の基地
 千歳基地の自衛隊基地侵入は軽犯罪法
040_20100404201302.jpg
 キャンプシュワブ(米軍基地)の看板は
  日本の法律。
 法律名を隠しています。
 何故でしょうか。さて、なんという法律でしょうか。
答え(       )

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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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