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日本列島連鎖行動
 普天間撤去、日本のどこにもいらない


沖縄タイムス世論調査
  沖縄県民の意思は揺るがず発展

 隔世の歴史メモ(その1)
 タイムス世論調査である。私は2000年からヘリ基地反対協の代表委員についている。当時はまだ、高校教師現職で組合の代表ではなく、名護平和委員会の会長としての就任であった。日本教職員組合が安保容認に入り、脱退して沖縄高教組の組合員ではあった。
 沖縄サミット、振興策、沖縄金融特区など「バラ色の名護」であった。2003年、韓国の反基地闘争を学ぶ旅にで、これから来るであろう環境アセスに対して、3月13日、ヘリ基地反対協総会に環境アセスに対抗するために「プロゼクトチーム」の組織化を提案、9月23日「沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団」(個人加盟約600人)を立ち上げる。
 イラク戦争(3月20日)の緊迫した年である。11月17日、那覇防衛施設局(現沖縄防衛局)は、手続きを開始した。退職願いをいつも持っていた。踏ん張った。無事、定年退職(04年3月31日)し、「第二の人生」辺野古が始まる。
 ヘリ基地反対協とアセス監視団は、辺野古の闘いの車の両輪である。歴史の進展は隔世の感がある。
 この頃、平和新聞を見ると、ビエケスの代表、韓国メハンニ、キム・マンギョ氏などとの対談が特集で組まれている。
 タイムス世論調査読み、知れらざる歴史を書いてもいい時代に来た。

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   (続きー基地と周辺の花(2))
基地と周りに咲く
  ウリズンの花(2)

 アコウの花?
 辺野古漁港の回りにアコウの木は少なくない。アコウで有名なのは首里城、司令部壕の沖縄戦で焼かれたアカギに宿り、一生懸命、沖縄戦遺跡を守るアコウだ。溝上泰子『受難島の人々』(1959年?出版)の表紙のアカギにはまだ、アコウの木は宿ってない。
 琉球大学は首里城にあった。1962ごろ確かにアカギにアコウは宿っていた。この年、聖公会が玉陵の前に教会を建てるとブルを入れた。文化財守れと私もブルの前に座った。怖かった。でも、世界文化遺産の一つになった。
 私は聖公会に偏見を持った。ハンセン病の歴史を知り、また、辺野古への支援に接し誤解は解けた。
 どんは厳しい環境にもたくましく生きるガジマルの仲間、好きな木である。

1996年溝上泰子を調べに松江に行ったが、空振りに終わった。
 アコウの木は落葉する。季節による落葉ではなく、木それぞれの個性のような気がする。新芽が出る時が一番個性的な姿を現す。まるで、花のように、幼いような命の息吹が一斉に、そして、すぐ、大人の葉になる。
 実は体中の幹から湧き出る。メジロが戯れる。アコウは鉄筋コンクリートの隙間に遠慮なく芽を出し、破壊する生命力がある。柔らかな芽は。


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タイワンレンギョの花
  南風に揺られて
 辺野古橋からテント村に曲がる周辺に、今、タイワンレンギョの花がブーゲンベリヤに映える。移入植物で黄色い葉が垣根や道路に植えられ、辺野古坂には動物の形が造られている。
南の強い風に揺れて、幻想的?

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 クチナシの花
  イジュの花が咲き始めるころ、告げるようにクチナシの花が咲く。昨年までは那覇から宜野座インターに出る側に咲いているのを紹介した。基地の中に咲いている。大きなクチナシだ。渡哲也歌だ。海兵隊にはふさわしくない歌。シュワブの兵士たちは恋人と別れ、失い、その意味では寂しい花だ。
渡哲也は野に咲くクチナシの花を歌ったのか。それとも、アメリカなどで改良されたクチナシカ、遠藤実の曲は野のクチナシのように思う。

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名も知らぬ野の花
  金網に咲いていました
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各地で4・25

僕は末期がんの母の世話を伯母に頼み、東京の集会に参じます。(三宅坂・明治公園)

沖縄に基地はいらない 全国同時アクション

http://maps.google.com/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&msid=103728511401941116092.0004837b35e3c20d61506&ll=34.170908,137.647705&spn=9.882975,9.019775&z=7
プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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