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鎮魂の6月23日ー現安保批准の日、沖縄愛楽園散歩

  鎮魂の6月23日
   6月26日 高江座り込み


 屋我地島散歩
   沖縄愛楽園
 県外の学習会、集会などは月に1回と限定、7月の講演に向けて名護の沖縄戦を題材にしたい。
 現職(98年~04年)の7年間、沖縄愛楽園を野外学習の拠点としてきた。鎮魂の6月になると現職頃、子どもたちと学びで歩いたところを思い出す。沖縄戦、人権、ヒューマニズム、自然環境を総合的に学べる。
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 沖縄愛楽園へ
  「逃れの碑」
 20年ほど前、屋我地橋の手前の<逃れの碑>に出会い、名護に帰ったら沖縄愛楽園を中心に野外学習の総まとめと思った。063_20100621183303.jpg


 沖縄哀楽園発祥に地
   差別・人間無視の歴史

愛楽園開設の父、青木恵哉顕彰碑
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納骨堂
  家族の墓にも入れず、「平和の礎」にも刻銘されず(野外学習の頃は)

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 新しく出来た声なき子どもたちの碑
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屋我地内外は沖縄の「松島」
 嘆きの浜
  断種や中絶、産声とともに殺された水子が埋められた浜。学習の過程で生徒が「命名」
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悲しみの浜
  沖縄戦で死者を仮埋葬した浜、「悲しみの浜」と命名。
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沖縄戦とハンセン病者
  実践レポ記録『歴史地理教育』(2000年4月号)


 猛攻を受ける愛楽園、爆弾での死者1名、沖縄戦で亡くなったのは約300人(1000人の内)、
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  早田壕は爆弾から命を守った
  だが、飢え、マラリア、疫病は襲った
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 爆弾600発、ロッケト砲400発、機関銃10万発と記録
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  だが、飢え、マラリア、疫病は襲った。病人が掘った壕で、約500mの長さ、この丘は貝が隆起して出来ていて、神経のおかされた患者は痛みがなく、ハショウフ菌で死亡したのも少なくない。戦争の傷が沖縄愛楽園では後遺症が酷い。
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 (鋭い貝の化石)
 


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 生徒が作った新聞
  数百枚―整理して資料館へと思うが・


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(続きー心のこもった寄せ書きから4)

資料 沖縄タイムス社説21日
心のこもった寄せ書きから(4)

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 今日も多彩なニュース
 
4月以来、本土における「沖縄独立論」批判、カン首相の「感謝]論触れてきました。
 沖縄タイムス社説に批判論登場しました。紹介します。


[安保50年と沖縄]「主権深化」が先決では
政治 2010年6月21日 09時04分

(13時間11分前に更新)

 「独立しても米軍基地は持っていてください。申し訳ありませんが…」

 県庁に関西在住の市民から電話が入った。中日新聞6月10日付に掲載された「再燃『沖縄独立論』の現実味」を読んで電話したらしい。

 その現実的な反応に驚く。県内で独立論はごく一部の主張にとどまっている。仮に実現しても日米両政府と基地撤去を交渉するのは困難を極めるだろう。

 元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏は方法論としての可能性を論じながら、「米中日という大国に囲まれ、その環境で生き残るには、外交に相当なエネルギーが必要。そのコストを考えれば安易に独立論は語れない」とコメントしている。

 米海兵隊基地が残るキューバのように、居ついてしまった外国軍を撤退に導く交渉は容易でない。

 ここで指摘したいのは独立論の可否ではない。独立しても基地を引き受けてほしいという本土側のメンタリティーのあり様だ。

 本土側には別の視点もある。菅直人首相は鳩山内閣の副総理だった昨年、喜納昌吉参院議員との面談で、「基地問題はどうにもならない」「独立したほうがいい」などと発言したという。喜納氏が近著で紹介した。

 この国で安全保障の当事者はいったい誰なのだろうか。

米軍普天間問題が混迷してから、本土側から「沖縄は独立した方がいいのでは」という話を耳にする。軽々しく沖縄独立論を説くよりも、自らの独立を考えるべきだ。

 50年前の1月19日に日米両政府が署名した現在の安保条約は、6月23日に批准書が交換され、発効した。

 くしくも慰霊の日だ。戦没者慰霊祭に出席予定の菅首相は、基地負担の軽減に取り組む上で、「式典に参加し、(中略)長年の過重な負担に対する感謝の念を深めることから始めたい」(所信表明演説)という。

 「謝罪」ならまだしも「感謝」という論理のすり替えには閉口する。鳩山由紀夫前首相が普天間の移設問題で「最低でも県外」と公約した負担軽減は、菅首相によって振興策に衣替えしていくのではないか。自民党政権がそうしてきた。

 安保を正面から論じることなく負担を沖縄に封印する構図は変わらない。それでいて政府は安保50年を契機に日米同盟を深化させるという。

 投げやりに沖縄独立を口にする首相に米側と本気で向き合う覚悟はあるのだろうか。

 民主党が昨夏の衆院選で公約した「対等な日米関係」は、普天間をめぐる対米交渉でもろくも崩れた。

 「地域主権」を推進することも重要だが、安保50年の節目にいま一度「安保下の従属」を問い直すべきではないか。

 首都東京上空の一部空域の管制権を米軍に握られている現状を政治は論じようとしない。基地内で環境汚染があっても現地基地司令官は行政の立ち入りをめったに認めない。文民統制は破綻(はたん)している。

 主権について冷静に論じられる節目にしたいものだ。
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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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