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TBSーカン尚中氏の沖縄レポートなど

辺野古・高江情報  果てしなく青い空になった。南から入道雲流れる。海水吸収して午後にはスコールが降るか?辺野古・高江特別な動きなし。  嘉手納の訓練、横暴さが増してきた。住宅地付近で爆弾を海軍が積む。 IMG_20100815144657.jpg  琉球新報ワシントン報告「海兵隊見直しなぜ?-どうやって上陸するのかー米国防長官の問い「揺らぐ抑止力」(与那嶺路特派員15日)は面白い。  沖縄タイムス「アメとムチ」の「地元の地元」論で、政府関係者、「密使」などの甘言葉が見える。沖縄防衛局員は毎回変わるようだ。前の説明と違い漁民などは信じないようだ。  超法規的なことも平気で行っているようだ。それとも本気に「特別措置法」民主党政権は考えているのか。事前報償3億円など。 047_20100815144734.jpg  敗戦の日5月15日   沖縄は捕虜になった日が戦後と言われる。沖縄守備軍と米軍の「降伏調印式」は9月7日、嘉手納基地に碑が建つようだ。  日韓併合100年、俄然、文化財問題など浮上、私も領事館に「母の神器」の捜索を求めている。植民地の問題、苦痛は本土の一般的国民には理解できないかも。    QAB「フロントライン」(東京テレビ)見た。  カン尚中氏が普天間・辺野古・高江など訪問、特に、高江はキー局としては初めての放映ではないか。辺野古の繁華街で海兵隊に質問、海兵隊員「辺野古移設、危険、ダメ」と明確に答えていた。  ストーリー全般から氏が「安保問題というより、本土と沖縄問題」と述べていたが、仕方のないかも知れませんが、今、沖縄の基地問題は安保問題、日米同盟の問題である。氏は、だとしても、戦争および戦後の沖縄に対する認識を問い懸けたのであろうか。  現在の沖縄および日本の政治の到達から見て、さて、と、思ったのは、私だけであろうか。  韓国併合100年、植民地を経験したであろう尚中氏、あたり、触りのない結論は、大谷氏も同様であった。政治を揺るがしている沖縄民衆に共感するものがなかった。13年間、少なくとも政権を揺るがしている(不安定)にさせている沖縄の深部に迫るものない。    尚中氏が東大教授になったとき、タイムス「大玄小玄」に紹介された。現代社会の文化編で「異文化への尊厳」や平等論などで教材化したことがある。 022_20100815144751.jpg  甲子園    興南順当に勝つー沖縄の今にダブらせてみた人少なくない。 資料 琉球新報 社説 終戦65年/政治の「歴史」乱用許さず 過去と現在の対話で未来を2010年8月15日   アジア・太平洋戦争の終結から65年を迎えた。  「ウムッサンヤー(おもしろいなあ)」。8月15日正午、ポツダム宣言受諾を告げる昭和天皇のラジオ放送を聞いた郷土史家の宮里栄輝さんは、そう言った。  疎開先の熊本で、軍国主義による抑圧から解放された心情を吐露したのだろう。  同日午前、沖縄では各収容所地区の住民代表が石川地区に集められた。戦後初の住民自治機関として、沖縄諮詢(しじゅん)会の設置が米軍から示された。新たな一歩が踏み出されようとしていた。 ◆敗戦と解放  日本軍に占領されていた中国や東南アジア、朝鮮などの人々は、日本の降伏を解放と受け止めた。この事実を忘れてはならない。  日本はアジア侵略の先駆けとして1874年、琉球人殺害を名目に台湾に出兵した。94年の日清戦争、1904年の日露戦争で朝鮮半島や中国に勢力を拡大、14年に第1次世界大戦に参戦。10年おきに戦争を繰り返した。  10年に韓国を併合し、31年9月18日の満州事変で中国軍と衝突した。この事件は、中国との長い泥沼のような戦争へと拡大していく。それから10年後の41年12月8日、日本軍はアジア・太平洋地域の米国、英国、オランダ領を攻撃。中国、米国、英国、オランダ、そして最終的にはフランス、ソ連を含むアジア・太平洋戦争へと拡大していった。  この時代はアジア侵略のための、戦争に次ぐ戦争の時代だった。しかも軍事、経済、思想など国家のあらゆる力を動員した総力戦によって国民は多大な犠牲を強いられた。  アジア・太平洋戦争でアジア諸国の死者数は2千万人に上る。満州事変以降の15年間の戦争で、軍人・軍属・一般住民を合わせて310万人の日本人が命を落とした。  敗戦後、一般市民も多数犠牲になった「戦争の惨禍」への反省から、憲法9条が生まれ、戦争放棄と軍備・交戦権が否認された。  だが、沖縄は米軍統治時代、平和憲法の適応外に置かれた。サンフランシスコ講和条約が発効した52年以降も、72年の施政権返還後も、「占領軍」だった米軍は沖縄に駐留している。65年もの間、米国が引き起こす戦争のために沖縄の基地が自由使用され続けている。  戦争の世紀といわれた20世紀は終わった。しかし、2001年9月11日の米中枢同時多発テロ以来、米国はテロという新しい形の戦争に直面している。  国家は戦争を正当化しようとする時、過去の記憶を動員し、「歴史」を乱用しようとする。警戒を怠ってはならない。 ◆忘却との戦い  例えば、同時多発テロ事件の直後、ブッシュ大統領は日本の真珠湾奇襲攻撃を連想させる発言をしながら国民に結束を訴えた。  ブッシュ政権は、イラク戦争の開始前から、第2次世界大戦後の日本の占領を「成功例」として、イラク占領を正当化するかのような幻想を振りまいた。  ロシアは、日本が第2次世界大戦の降伏文書に調印した9月2日を「対日戦勝記念日」とする法案を可決した。  対日戦争の勝利を強調することで、北方4島のロシアによる実効支配を正当化し、北方領土返還を求める日本をけん制する狙いがあるとみられている。  かつて村山富市首相は「わが国は国策を誤り、戦争への道を歩み、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略で多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と、談話を発表した。首相が率直に過ちを認めるまで50年かかった。  日韓併合100年に際し菅直人首相は「痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることはできない」と述べた。正鵠(せいこく)を射ている。  重要な歴史的事実が忘れ去られ、国家によって都合のいいような記憶や「歴史」の断片が集められ再構成されるとしたら問題だ。これは「歴史」の乱用であり、捏造(ねつぞう)につながりかねない。  敗戦から65年。戦争体験の継承が極めて重要になっている。戦争を知らない世代が増える中で、戦争体験の風化は避けられない。現在から過去を絶えず問い直し、過去と現在を結び付け未来を築く努力が求められている。
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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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