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いくどもいくども繰り返される普天間移設計画ーなぜ

お知らせ
 9月8日(水) アセス裁判 10時 地方裁判所
 9月9日 (木) 木曜無言すわりこみ 7:30 シュワブ
 9月11日 (土) 民医連23次 辺野古行動
 9月12日(日) 名護市会議員選挙投票日

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(名護市議会議員選挙)
ヤンメームンも出ないと
  具志堅カーで街頭演説
   平和丸船長押し上げて

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 (7日 1:00写真更新)

守屋『秘録』(2) 

軍民共用空港の勝利確信
 再編成向けて『愚直Ⅰ』上梓

小泉の「辺野古見直し」は
  「辺野古内見直し」
 05年が明けると、小泉首相は「辺野古見直し」を口にした。守屋「秘録」は、守屋が小泉の絶大なる信頼を得ていることを誇示している。それは、女王蜂に刺される始まりでもあった。守屋はSACO計画に実施、再編成の中の「辺野古見直し」の渦に巻き込まれ、「秘録」は、首相、閣僚、アメリカの高官、稲嶺知事、北部の経済ボス(中泊弘次―防衛協会北部支部長)など多彩な人物が生々しく登場する。
 6月2日、私はボーリング調査への勝利確信し、ブログ「宝の海」毎日日記をブックレットにまとめる作業に入った。『愚直ー辺野古は問う、沖縄非暴力の闘い』とした。
 
 中央メデイアは軍民共用空港の闘いを伝えなかった。辺野古の仲間たちはメール、ネットで辺野古発進し続けた。各地で辺野古行動が起こった。自分たちが「メデイア」になる。
 「宝の海」は04年9月22日、毎日日記として、開設、旧ブログは消えている。
  
 再編成と中央マスコミ(2月8日ブログ日記)
 私の日記2月8日、「沖縄タイムス、新報の社説は辺野古見直しである・・・米軍再編成は、米国の財政危機の中、いかに即応体制を高め、同盟国を参加させるかである。・・これほどのことが載らないのは<銃剣とブルドーザー>の時代を回想させる。
 2月25日、中央マスコミ「見直し」掲載、「全国紙に載りはじめたことはいいことなのか即断できない。・・1995年以後、沖縄の闘いの現場は、<第4の権力>と言われるマスコミの怖さを、いやというほど知らされた」。
無題4

 守屋『秘録』と沿岸計画
  守屋は、SACOでの検証に入った。嘉手納統合、伊江島、辺野古陸上(守屋)、ライト案(浅瀬案、前泊)などである。マスメデイアは「日米戦争」と描き、「秘録」も守屋がマメリカや大臣、官僚達との奮戦を綴り、「宿営地案」(沿岸案=日米合意)を導き出したことを誇示している。
 
「小泉首相の<辺野古見直し>は予想したように<辺野古見直し」として、陸上案、浅瀬縮小案と日米政府が「喧嘩」を演じている。日本政府にアメリカ政府と喧嘩できるほど成熟した外交政策があると思っている人は一人もいない」(『愚直』あとがき10月初旬)
 それには、根拠があった。
 
「悪魔の要塞基地」「動かぬ空母」計画
 ジュゴン裁判から見えてくるもの
 辺野古海上から見えて来るものは、軍港を兼ね備えた「動かぬ空母」であった。大浦湾の生態系調査でもヘリの動きから見えた。
 アメリカのジュゴン裁判は軍民共用空港に関してアメリカ政府の「関与」であった。アメリカ国防省は国防省、米軍が過去(1962,1966年)に計画した「辺野古海上基地」計画、軍港計画を提出した。再編成でアメリカ目指しているものは総合的な合体であった。
無題3

 再び中央マスコミ
  日経新聞記事と社説(10月9日)
 10月に入ると朝日、毎日と再編成に記事が出てくる。10月9日、日経新聞は社説で「政府の責任で妨害行為排除せよ」と特集記事をスクープ。
 守屋は、「同時期、日経新聞出は社説まで使って私を批判していた」。日経の守屋に関する記事は、
 「陸上案を推進した守屋武昌防衛次官の<暴走>の結果との声がある。両案とも基地反対派の妨害に直面するが、陸上案は名護市、米軍、沖縄県とすべての当事者が反対するからである」(「秘録」P64)
 この時期、守屋は、陸上案から宿営地案でまとまり、「秘録」によれば、現沖縄担当大臣誠司民主党代表も宿営地案(沿岸案―日米合意)を受け入れていた。この日、この時間(10月13日)大野大臣はローレンス福次官が会談している。日本の大臣がアメリカの次官補クラスだ。この構図できる。
 すでに、私は空港・軍港合体の危険を指摘、守屋と同じことを考えていた。日経新聞社説にメデイア憂い、日経新聞に抗議と面談を申し入れていた。防衛局より悪い。
 (続きに、日経への手紙掲載)

無題

 緊急政府行動
  大古防衛局長・河相北米局長面談(10月19日)
 新聞などは「日米喧嘩」報道。2プラス2は10月29日予定。日米合意の前に、日米政府の「悪魔の要塞基地」を暴いておく緊急行動が求められた。
 ヘリ基地反対協(大西)、アセス監視団(真喜志好一)が上京、防衛省、外務省の政策決定レベルの官僚を引き出す必要があった。
 照屋寛徳、赤嶺政賢両衆議院議員に仲介してもらい、国会外務委員会開催中、外務委員会控室で、大古防衛局長、河相北米局長に、2プラス2で合意するのは合体案(沿岸案)であろうと、ジュゴン裁判国防省資料を示し追及した。
 大古はハンカチで額の汗拭き、河相は足を揺すっている。
  (日本の官僚、アメリカに恫喝されたらおしまいだと読む)
 10月29日「日米同盟の変革と未来」(いわゆる日米合意中間報告)が日米間で合意。

 中央紙が沿岸案を報道するのは10月26日である。守屋は沿岸案をもっぱら、自分の手柄と書いている。私は守屋もアメリカの戦略、戦術の乗せられたと思っている。
 アメリカは、40年来の「夢」を実現した。空母、軍港を手に入れた。
 守屋「秘録」第一章「在日米軍再編成へ」を私の日記から見てみた。守屋が女王バチに刺されるまで読むか。
守屋は第1章を、天皇の「この間ありがとう」とお言葉かけられた。と、結ぶ。
 昭和天皇がマカーサーに沖縄をささげた占領期想起させる、平成天皇も沖縄を米軍基地として100年もささげるにか。守屋は「実績」を小泉だけでは物足りず天皇まで利用したか。
 
 SACO以来、現在も、日米政府は同じことを繰り返している。前原が沖縄担当大臣として、発言しないことも明確になった。



続き(日経新聞社への手紙)

7日、14:37分更新
 琉球新報社説
民間空港使用 軍事利用と親善両立せず
 沖縄タイムス
基地負担減で新協議会 県・政府合意 普天間移設は除外
   (仲井真県政政府と蜜月に入るのか)
   
日本経済新聞社 社説担当 殿

                  ヘリ基地反対協議会
                  代表委員  安次富 浩 
大西 照雄
又吉 秀夫  
宮城  幸
 基地反対協議会は貴社に面談をヘリ求める
 ヘリ基地反対協議会はSACOの海上基地を市民投票で海上基地ノーの民主主義と民意を確立した名護市民の住民共闘組織であり、軍民共用空港の白紙撤回とボーリングの違法行為に対する行動に責任団体としての役割を果たしてきている。
 貴社説10月9日「政治の責任で普天間の対立を解け」は、私どもとしては看過できない重要な問題を提起しているので面談を求めるとともに抗議に値するものである。
 私どもは、交通の問題もあり、友好団体にお願いして貴社との面談を求めたのですが、あらかじめ、手紙などで事前に行なうよう受けていますので、この文書を送ります。
 沖縄の非暴力の心
ヤマトの床の間には剣があり、沖縄の床の間にはサンシンがある。沖縄の戒めは「自分が危められても眠れるが、人を危めては眠れない」である。日本経済新聞(以下日経)はテントに座り込み、那覇防衛施設局の違法なボーリング調査に非暴力で抵抗する人々の行為を「妨害運動」と矮小化し、剣を抜いて威圧せよと提言する。
 アメリカ独立戦争のスローガンは「代表権なくして課税なし」であった。1951年サンフランシスコ条約、安保条約は沖縄県民にとって代表権、意見表明権も日米政府に剥奪され、他都道府県の米軍基地とは異なる歴史的側面を持つものである。
 沖縄の抵抗権の歴史は「武器なき闘い」と称され「すべての兵器を楽器に」など非暴力の文化で、闘いのなかには常にサンシンの文化があった。
 私どもの座り込みは非暴力が柱で、辺野古の老人たちは守る会事務所に9年間座り込み「海に杭1本打たせない」「人柱になっても止める」の愚直な日々であった。那覇防衛施設局は座り込み現場に33回交渉に来た。私どもは灼熱のアスファルトに莚を敷き、冷たい麦茶を出し座って交渉に当たり「説得」して来た。この間、テントでは整然と座り込み、海上の単管櫓でも同様である。
 小泉首相は「辺野古見直し」を言ったが、それは「辺野古内見直し」で、強力な傷みを押し付ける論理であることが明白で、基地の負担軽減は抑止力が強調され、沖縄に安保の傷みを押し込めることが明白になった。
 私どもの抵抗は沖縄への基地押し付け、環境影響評価法違反のボーリング調査に対する正当な請願、抵抗権であり、国際自然保護連合(IUCN)総会はジュゴンなどの保護およびボーリング調査を環境アセスに組み込めなどの勧告を行なっている。
 政府が決定した軍民共用空港は、わたしどもの正当な抵抗、沖縄県民及び国民世論、国際的注目と批判のなかで環境影響評価法手続きの初期の段階で挫折し始めている。現在、日米政府は、SACO及び代替施設協議会などの検討過程で自ら却下した「陸上」「浅瀬」「沿岸」案など死んだものを蘇らせ、名護市を米軍の要塞都市に変えようとしているが、これは、政策決定過程のルール(行政民主主義)に対する不信を助長し沖縄の頭越しに強行、新たな抵抗権の源泉になることは沖縄県知事の動向が証明する。
 日経新聞10月9日社説「政治の責任で普天間の対立を解け」は、日米政府を免罪し、正当な沖縄県民の請願及び抵抗権に、政治家と首相に対し指揮権発動的な国家暴力装置の発動を提言するものと認識される。
 以下の諸点に関して説明を求めるとともに直接面談を申しいれます。
説明要求
 Ⅰ、貴社説は「浅瀬案にせよ、辺野古沖案にせよ、心配されるのは『海の三里塚闘争』と呼ばれるような過激な妨害活動であり、反対派説得する作業は政治家の仕事となる」について、
1), IUCNからも異例の、2度のジュゴンなどの保護、ボーリング調査をアセスに組み込めなどの勧告を受け、アセス回避、ジュゴン追い出しなどに関する見解、名護市民投票、辺野古移設ノーの82パーセントの沖縄県民世論及び県外移転を求める沖縄県の要求をどう認識するか。
2), 海の三里塚闘争とは何か。私どもの非暴力の闘いを三里塚闘争と断定する根拠は何か。
3), 環境影響評価法の本質は国民への説明責任である。住民や記者も閉め出す那覇防衛施設局の行為を新聞人として容認するのか。説明責任があってはじめて「説得」は発生すると思うが。どうでしょうか。過激な妨害活動とは何か。
4), 「政治家の仕事」とは何か。国防総省ヒル日本部長のように隠密行為をして、日本の外交主権を侵害して行なうような行為を日本の政治家に求めているのか。
5),辺野古沖案なるものは存在しない。軍民共用空港と理解していいか。貴社の見解を求める。
Ⅱ、貴社説「いったん決定されれば、違法な妨害活動は放置できない。警察、海上保安庁による適切な対応が必要となる。その判断は首相の責任となる」について、以下説明を求める。
  1)、「いったん決定されれば」は、環境影響評価法の諸手続き、アセスの諸過程を含まず、着工を想定しているのか。現在、防衛施設庁はいかにアセス回避をするか模索している。
  2)、「違法な妨害活動を放置できない」とは具体的に何か。海上保安庁の「適切な対応」はいかなる法を根拠にしているか。首相が警察権力を発動するときはいかなるときか。貴社説は警察海上保安庁が合同で「適切な対応」を住民運動に「必要」とも読み取れ説明を求める。とるがどうですか。首相責任の具体的
Ⅲ、まとめと要求
  新聞などの統制価格の値上げは、1社が先行して「プライスリーダー」となる。貴社説は住民運動への権力介入のプライスリーダー的役割を果たしている。マスメディアは「第4の権力」といわれますが、貴社は沖縄県民の平和に暮らしたい願いと運動に刃を向けて来たと認識する。
     再び、最後に「ヤマトの床の間に剣、沖縄の床の間にはサンシン」がある。貴社の社説は沖縄の歴史で培われてきた「武器なき闘い」を過激な妨害活動と描き、国民に誤った認識を与えるもので、直接面談し説明責任を求めるとともに、私どもとしては抗議に値する内容を秘めている。
     わたしは、11月7日から9日にかけて別の用件で上京します。ぜひ、時間を取っていただきたいと思います。私どもは10月21日、アポも取らず「直訴」的に上京しました。国会の厳しい中で、大古和雄防衛局長、河相周夫北米局長は国会内で要請を受けています。民主主義の新聞社が面談を拒否することがあれば政府以下の言論世界を国民に晒すことになる。この件にについて代表委員の大西が対応しますので連絡方法を下記に記している。
        ヘリ基地代表委員 大西 照雄
 
              2005年10月25日  速達
携帯090・1940・1563
          TEL/FAX 0980・53・5081
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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