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万国津梁の鐘ー平和の架け橋の邦

尖閣列島問題
大西は中国派か、反日本派?

 琉球の領土だ。
 尖閣列島問題で日本が揺れている。まず、私の一貫した、世界を見る視点は「平和の文化」(紛争の平和的解決、非暴力、飢えのない世界ー国連平和の文化宣言)、憲法前文および9条、東南アジア平和友好条約2条(紛争の平和的解決、武力の威嚇・武力の行使禁止)を結合して現在を見る。
 安保を解消して、日米平和友好条約の道目指す。

 主権国家は主権侵害には排他的権利を持つ。私は、尖閣列島は琉球の領土である主張している。
無題1
  (阿波根昌鴻さんと平和の文化シンボルマーク)
Wikipedia
電子辞典調べると国内法で領土に関する国内法存在せず、サンフランシスコ条約が法規範となる。琉球人がカツオ工場建設したのは米軍統治下、沖縄は日本の領土ではなく「潜在主権」でカムフラージュした。
 
 この間、尖閣列島の日本の領有権の歴史を歴史的に解明したのは赤旗「尖閣列島問題の方向を考える」(ブログ21日)が優れている。

 領有権は近代国家の成立、特に、アジア・アフリカの独立(1960年代)に新興諸国が誕生する。日本の領土を電子辞典で調べると、やはり、サンフランシスコ条約たどり着く。

Wikipedia
資料1
領陸(りょうりく)。狭義の領土である。日本においてはこの意味における領土に関して定めた国内法が存在せず、主として条約、特に日本国との平和条約(通称:サンフランシスコ講和条約)が法規範になると考えられる。
 

資料2
領海とは狭義の領土、すなわち領陸の沿岸に沿った一定の幅の帯状の海域で、当該国家の主権が及ぶ範囲のものをいう。古くは、大砲の着弾距離を根拠として低潮線より3海里を領海の幅とすることが国際慣習とされていたが、かつては、12海里や200海里を主張する国家も存在していた。
現在は、1982年に採択され1994年に発効した「海洋法に関する国際連合条約」(通称:国連海洋法条約)により、それぞれの国が12海里を超えない範囲で自国の領海の幅を決める権利を有するとされている。日本においては「領海及び接続水域に関する法律」(昭和52年法律第30号)によって原則として基線から12海里(約22.2km)の海域と定めており、一部の特定海域については3海里(約5.6km)となっている。

 資料3
特定海域
特定海域 ... 海峡西・東 水道・大隅の五海峡は特定海域として、同海域に係る領海は、基線からその外側3海里の線及 びこれと接続して引かれる線までの海域とされました。 ... により直線基線が採用されたことによって、特定海域 ...
 (ネットで調べるといびつで、卑屈な領海鮮明に見える)

津軽海峡などなぜ3海里なのか?
 サンフランシスコ・安保体制
特定海域は米軍自由航行のために3カイリ津軽海峡、大隅・種子島海峡、いかなる国の船舶航行できる公海がある。サンフランシスコの主権放棄の負の遺産、見える。これらの地域の設定地図で見ると歪で主権国家の海図ではない。日本の領土が国際的な法規範では,サンフランシスコ条約によるとすれば、琉球および尖閣列島日本の領土放棄していることになる。特定水域は安保条約で米軍の自由航行のためであろう。私の指摘する主権喪失国家が見えてくる。沖縄返還前に台湾・中国領土宣言している。
 
 私は、今日の沖縄・日本の不幸は「サ条約」で,日本独立、主権回復と教えてきた日本の教育の罪だと、口癖のように言っている。日本人の大方が「沖縄問題」とする意識構造も、いまだに日本4島主権論である。
 米軍に人権蹂躙が続発しても「自己責任」論で茶化すメデイア。
 宮古・八重山に陸上自衛隊2万配備、尖閣列島に自衛隊配備(?)は、軍隊により、両群島の政治・自治を支配する発想(市長・議会支配できる)。サンフランシスコ条約でアメリカが沖縄支配した現代版のようなもの。

DSC01104.jpg
(26日、辺野古秋です。静かな静かな秋です。まれにみる穏やかな秋です)

 万国津梁の邦
  沖縄タイムス社説「日中と沖縄」
 沖縄を教えるとき、「万国津梁」は必ず教える。小渕内閣は沖縄サミット(2000年)を万国津梁館で行った。戦争への架け橋のレールを敷いた。
 昨日の沖縄タイムス社説は「万国津梁の鐘」碑文を引用し尖閣列島、日中関係、偏狭ナショナリズムを戒めています。琉球・沖縄の道は「平和の架け橋」である。沖縄の歴史は平和の文化を取り戻す道である。
 
「万国津梁」(ばんこくしんりょう)


沖縄タイムス社説
[日中と沖縄]対話こそ関係改善の道
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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