スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

沖縄知事選挙短期決戦へー過去から学ぶ(続き)1

短期決戦に入る
  沖縄知事選挙
 

 疲労で県民集会いけませんでした。稲嶺市長辺野古・大浦湾視察、県民集会への呼びかけなど、疲労が蓄積している。
 我が家の玄関です。
DSC02724.jpg
 愛用の軽トラです。
DSC02725.jpg

全国は一つ
 日本の矛盾の集中する沖縄
  伊波さんの勝利で自主的日本のスタート
 全国の良識を沖縄に集中
自公政権であれ、民主党政権であれ、日米同盟絶対化政策では、政権含め、日本の未来はありません。
  日本は、今、目覚めるとき。アキカン内閣、沖縄から起こる「台風」で余命幾ばくか?

無題N
やんばる統一連事務所
   名護のシンボルヒンプンガジマル見えます
DSC02726.jpg
  徳田球一生誕記念碑
DSC02727.jpg
 ゾルゲ事件
   宮城与徳記念碑
DSC02728.jpg




(続きー「平和の文化と辺野古の闘いー苦節13年から日本を問う」その1)
新しい闘いのために
  過去を振り返り明日を展望する(1)

 いくつかの沖縄報告を次々に送っている。米軍占領下1966年、高校教師になる。日教組は60年代中期から「沖縄に学べ」「沖縄を教えよう」と総学習・総抵抗運動を起こした。全国的に理論的にも実践的にも中心になったのが国民教育研究所の所長であった森田俊男氏であった。
 
 1995年、9月4日琉球新報夕刊コラム「人工衛星」は「都合のいい時『沖縄に学べ』『都合が悪くなると沖縄を切り捨てる」日教組」の記事に、沖縄の教師として暗い気持ちになっていた。
 この日、少女暴行事件は起こった。
 今年、8月、森田俊男氏が逝った。
 9月30日の沖縄報告の草稿は追悼記となった。
 1968年は、3大選挙(主席公選、立法員選挙、那覇市長選挙)で沖縄が燃え勝利した。
 今年の沖縄知事選挙を、当時と似ている。


「平和の文化」と辺野古の闘い
 苦節13年から日本を問う........(その1)


  わが師、森田俊男氏逝く
 1996年8月、森田俊男氏と28年ぶりに再会した。初対面は、沖縄県高教組第1回教研集会(1968年、記念講演講師)、米軍支配下、沖縄は3大選挙で歴史への展望を切り開き始めていた。再会は全国高校生平和集会IN沖縄であった。私は教師になって森田氏の沖縄論、地域論から多くのことを学び、社会科教育で「沖縄自立的」社会科像を模索し続けてきた。
 
 1995年7月末、私は沖縄の非暴力の実践的シンボル阿波根昌鴻氏と女子高校生の交流を『沖縄の太陽物語』(以下『太陽』)にまとめて、1955年から始まる沖縄の高校生の<島ぐるみの闘い>を記録した。95年9月少女暴行事件から今日まで、沖縄の島ぐるみの闘いが続く、森田氏は全国高校生平和集会を企画し、ともに、サポターとしての再会であった。
無題K

 1996年、私が森田氏と高校生平和集会から学んだものは、①21世紀の世界は「平和の文化」を築く世紀、新しい文化概念であった。②千葉高校生ゼミの「日米平和友好条約」草案に触れたこと、後者は同年9月のアメリカ行動で英訳して政府・議会、アメリカのNGOに配布した。
 そのころ、私は那覇市真教寺石川啄木歌碑「新しき明日のくるを信ずという自分の言葉に嘘は泣けれどー」のメモを取っていて、森田氏は与謝野晶子が琉球の『明星』歌人を詠った「大海の南の島に生ひでて抑へかねたり烈しきものを」などの資料を送ってきた。このメモは『啄木と沖縄』(2000年7月)として出版している。

無題J

1968年、森田氏は、私に宿題を与えた。それは、昭和5・6年の沖縄の農民運動と沖縄愛楽園開設(ハンセン病療養所)の民衆の動き(嵐山騒動)の調査・研究であった。私の退職までの7年間、野外学習は愛楽園で、生徒との学び合いの過程で、歴史的なライ予防法国家賠償判決出会い、森田俊男氏は、私の実践のかけがえのない師の一人である。 
 96年12月、SACO最終報告は普天間の辺野古移設を決定、名護市民は「大切なことはみんなで決めよう」を合言葉に、市民投票条例を制定、辺野古移設を拒否、自治と民主主義の勝利を築いた。
 わたしは、1999年、市民投票を成功させたヘリ基地反対協の代表委員の役職に就き、現在に至る。その時期は、政府と県及び名護市が一体となって軍民共用空港(滑走路2600m)を押し付けてきた年である。 本稿は小岩井増夫、森田俊男氏の訃報に想いをこめて書いている。

DSC02714.jpg
 (沖縄愛楽園全景)
 明日に続く
スポンサーサイト

非公開コメント

プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。