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尖閣ー偏狭ナショナリズムと憲法、続きに過去から学ぶその2

今日は沖縄知事選挙情報ありません

尖閣列島問題と偏狭ナショナリズム
  対米追従の負の遺産克服を
日米同盟ありきの「政策的大連立」許してはなりません。



 我が家の床の間ー憲法を暮らしの中に、
 家を建ってて30年、憲法9条掲げています。いつも、講演で紹介しています。
 尖閣列島問題で偏狭ナショナリズムの動き活発になりました。
 昨年から重視している写真です。
無題M
 教師のころ、憲法学習終わった後の試験は「憲法9条を書きなさい」、最終試験は、前もって、試験問題は「日本国前文を書きなさい」であった。
 今日、憲法原則で日本、アジア、世界を見ることが、とても、大切な時代に入ったと思っています。

前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 (続きー「平和の文化」と辺野古の闘いー苦節13年から日本を問う2)
平和の文化と辺野古の闘いーその2
 辺野古の闘いの
  基本的指針
 1972年沖縄返還の年は、地球的規模でみると「「地球にやさしく」を宣言した「人間環境宣言」採択、その後の沖縄の歴史は、環境・自然破壊を進行させていた。1992年「地球サミット」は生物多様性保全条約など採択、私の授業の柱の一つに沖縄の環境問題が重要な柱になってきた。同時に、私は伊江島の阿波根昌鴻氏の周りにいて『太陽』の調査過程で沖縄非暴力の人生を学んでいた。(『反戦と非暴力』亀井淳著高文研1999年を勧める。)

http://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_487498214X/
 90年代中期から定年(04年)までの私の社会科教育は、21世紀に生きる高校生に「21世紀に生きる君たちは、平和の文化を築き、生物多様性の地球を保育する」を総合的な柱にしていた。それらは、琉球王国から受け継がれ(万国津梁の鐘碑文)、阿波根昌鴻の人生など、沖縄の先人たちの遺産である。辺戸岬復帰闘争碑碑文化。次のように結んである。
「 闘いを振り返り、大衆を信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそ
   あり。
    人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理のもとに生きながらえ得るために
   警鐘を鳴らさんとしてある。」
http://www.hosp.u-ryukyu.ac.jp/labo/kyouju/sokoku.html
 辺野古のテント村には阿波根昌鴻の遺影が飾られ、戒めとなり、日々の運動を支えている。 この遺影は偶然かもしれないが、辺野古の闘いの責任者の一人として、私が阿波根翁から学んだ基本思想も反映されているかもしれない。また、WWFJ,日本自然保護協会など環境団体と平和団体との共同も辺野古の力の源泉である。
  (阿波根昌鴻遺影は明日)
  辺野古現場の闘い始まる
   学びの蓄積は展望を拓く「ちから」
 2004年4月19日、那覇防衛施設局(現沖縄防衛局-以下防衛局とする)は、アセス法によらない「護岸構造検討の現況調査」と称してボーリング調査、総合環境調査を強行してきた。私の第二の人生の始まりでもあった。
 すでに、02年にはアメリカでジュゴン裁判を提訴(米軍再編成で重要な意味持つ)、03年9月23日には「沖縄ジュゴン・環境アセスメント監視団」を立ち上げ、以前から海の闘いのため、船を確保、カヌー提供を全国に呼びかけ、海の生態系調査、現場では土曜集会(学習)続けていた。03年11月17日、沖縄防衛局は、「公共用財産使用協議書」(ボ-リング調査、事前調査)を沖縄県に提出、知事の許可は約1月、退職願いを持つ、定年までの5月間、4月19日の「暁の攻防」を迎えるのである。
 辺野古テント村設営、現場で防衛局との緊張した交渉、8月13日沖国大ヘリ墜落、9月から海の闘いへと厳しい戦いが続く。
 北部振興策による「アメトムチ」の中で知事選挙・名護市長選挙3度の敗北の連続の中でテント村のすわり込み、海のすわり込みは、05年9月2日まで続いた。軍民共用空港は頓挫した。完全非暴力の勝利といえます。
 私は毎日闘いの記録を刻み9月海上闘争に入ると、ブログ「宝の海」を開設して毎日日記を更新し続け、現在も毎日更新続けている。
 日記は『愚直1―辺野古からの問い、沖縄非暴力の心』(05年10月)にまとめ、米軍再編成に向けた新たな闘いへの決意の総括とした。

無題I
 明日へ続く
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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