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2010問題とは

書きこみミス続きを
私たちが山を動かす
    辺野古移設中止を求める県民集会
     9月18日(金)6時
     県民広場

  新しい一歩、予定した展開だ

 緊急市民集会
 米兵のウンチン、オッシコ処理場
  名護市民の税金で作り、市民の税金で管理する提案に反対する

   9月10日(木) 12時から1時
   名護市役所 一分間スピーチ誰でも

2010年問題
 07年5月、沖縄防衛局は事前調査に着手した。

 その前年6月、私は世界は動くと06年世界平和フォーラム(カナダバンクーバー)に参加して世界の平和運動を自分の体と目で体験することにした。
 分科会で報告の機会を与えられ、07年3月エクアドルで結成される反基地ネットワークで逢いましょうと発言を結んだ。
 総会でも、国際連帯の立場、自主独立の共同訴え、分科会でも発言した。カナダ・エクアドルで市長や政府要人のあいさつの中で「平和の文化」がよくつかわれた。
 ラテンアメリカのNGOは国を超えて「兄弟」と呼んでいた。ブースの隣はブラジルのプレス。「兄弟」が大化中のあいさつになった。
 紛争の平和的解決、ラテンアメリカ共同体への想いが伝わる。ドイツの代表、反基地はNATOでは闘いの柱にならない、違和感を持った。友人のペーター(ドイツ)に聞いてみた。
 09年4月反NATO イベント(仏、ストラスブルグ、EU議会あり世界文化遺産)を知った。EUのNGOは急速にアフガン戦争反対の一致点で手をつなぎだしていた。
 フランスのデモはフーリガン的でひどい目にあった。
IMG_0003_20090902081753.jpg
  いまだ死ねず
    100まで生きるぞ
 07年8月、テント村、嘉陽オジー元気がない。方法書が広告縦覧出された。方法書によれば09年着工の予定。2010年までアセスを持ち込むことができれば展望が開けることを話す。
 「オジー、2010年が勝負になる」
 「アセス計画、狂わす」
 「できるの?司令官」(嘉陽オジー旧帝国海軍、ときどき、私を司令官と呼ぶ)
 「2014年完成計画、ひとつひとつ計画を遅らす、今までと同じ闘いだ」
 「100まで生きるぞー」
事前調査、方法書の欠陥をブログ、論壇などで批判、アセス審査会激励、知事意見への対応などを書き続けた。
 方法書で工程計画を遅らすことができ、埋め立て申請を知事選挙までと思った。
 私は、方法書のターゲットを大浦湾作業ヤードに絞った。一つでも計画を崩すこと。アセス審査会は作業ヤードの見学など行った。追加方法書から、ユビエダサンゴの浚渫が消えた。浚渫しなければケーソン式護岸は作れない。
 準備書ではフローテイングドグに変わった。準備書はマンガタミ(持ち切れない)矛盾、問題を抱えている。作業ヤードなくしたこと最大の「環境配慮」と幾度も幾度も繰り返している。滑稽だ。
 方法書の段階で8カ月遅らすことができた。
   1万の意見書を
 08年6月、日本平和委員会秩父大会で「2010年を面白い年にしよう」と辺野古報告を行い「準備書に1万の意見書が出たら勝ちだ」と述べた。政局の不透明で、衆議院の解散騒動、予定されたNGO団体の年間計画が中止準備書への十分な取り組みになれなかったが。
 
沖縄タイムス論壇に「世界の潮流は基地撤去ー誘致頼みの振興と決別」(1月8日)を書き、反対協はワシントンDC「反基地大会」に代表を送りアメリカ国民との連帯を深め、4月、私が反NATO イベント参加する。
 帰国翌日から準備書に対応する発信、学習会などの講師など行った6000前後の意見書が書かれた。おそらく、アセス史上空前絶後(?)といえるであろう。
 審査会での闘いに入っている。
 地球が動いている。衆議院選挙の結果は余震である。


塊状ハマサンゴを見よう
 陸地を取り巻く多様なサンゴ
 上記の塊状ハマサンゴは辺野古イのーのひとつ。おとぎの国の動物に似ていませんか。平島西には熱帯魚が踊りをしているハマサンゴがある。「大西サンゴ」と名前を付けている。
 下記以下は大浦湾の塊状ハマサンゴ。撮影は西平伸氏です。多様なサンゴ類、クマノミなどの生態を今後報告するつもりです。
IMG_0001_20090902081818.jpg



辺野古の塊状サンゴと比べてどっかりとしている。ユビエダサンゴの周りです。瀬嵩の砂浜の前でも見れます。嘉陽までかなりの場所で見れます。陸から10mの近くで見れる場所があります。
IMG_20090902081840.jpg


動物の脳みそ?
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 仲井真知事の本性
  「風穴」をあけた人たち
 
 民主党沖縄県連と知事の対談が載っている。知事は「県外ベスト」といつも言っていた。なかなか「県外がベスト」出なかったようだ。
 今、大事なことは「県外移設」ではない。普天間の閉鎖と辺野古の中止である。
 琉球新報9月2日25面(社会面)、辺野古の人たちの発言乗せているけれども、今の状況を生み出した人たちのコメントがない。現在のマスメデイアは民衆の闘いを書かないといった。
 日米政府、村の幹部などのしらがみの中で一貫して市民投票以来確信を持って生きてきた人たちを取材するのが記者の目であろうと思う。ああでもない、こうでもないと生きた人たちを出す意図は何んであろうか。
 県外移設が「できるか」「できないか」をマスメデイアは誘導するのか。歴史の事実を見よ。
 どこに、移転するかは外交権のない国民、自治体の問題ではない。国の専権事項と言ってきたのは誰だ。
 かような論理をはく人が政治家だからこの国、おかしいのだ。
民主党政権ができる。沖縄選出5人全員が辺野古移設反対、民主党政権は生活問題を重視、FTA問題など当面、再編成、日米同盟問題など後回し、それは、進む違法アセスを積み上げ「現実的対応」で処理する可能性を持っている。
 2010年は平和・環境問題で国の進む道選択、避けること出来ない、先送りすることできない。それが、2010年という年だ。

「知日派」の民主党揺さぶり
  日本国民の自主外交に挑戦

 予想以上に衆議院選挙の結果に、「知日派」といわれる国防・国務省官僚たちが動き出した。日本国民の自主外交を求める声が大きいことの証しだ。
琉球新報社説
  日米同盟 凜とした鳩山新政権であれ2009年9月4日
 さらに
 国家間合意を強調ー国務省メア部長(6面)

(私URL添付できないから「おおかな通信」から入ってください)
 メア日本部長を「米政府内で最も在日米軍問題に精通している一人」と新報は書いている。いわば、「知日派」といわれる一人である。
 私は在日米軍を「日本ミニタリストの雇い兵」、あるいは、古代ローマ民主共和制の柱、重装歩兵軍が「パンと見世物」に乞食化したことにたとえて「パンと銃だけ」の誇りなき軍隊が海兵隊と言っている。
 ナイレポート(知日派集団)は報告の中で「アメリカの利益のために日本の指導者」をとりこむとしている。 
 メアは沖縄総領事時代(日本部長前)、「平成の高等弁務官」(沖縄占領期の最高権力者)と称された。
 在日米軍は日本の税金で維持されて、アジア社会で米国の利益を維持している。メアの奥さんは沖縄の女性で、方言も話せるという。メアは権力的に日本を従属できると錯覚している化石的「知日派」といえる。
 
 皮肉にも 『属国』を書いたガバン・マコマック(オーストラリア国立大名誉教授のインタビユー「東アジアの新秩序を示せ」と民主党政権に求めている。
 
 強権と卑屈
  メアの記者会見ーオバマ・鳩山電話会談と対比

 日本ミニタリストから、いかに、お金を引き出すか。就任早々、クリントン国務長官はスマート(対日政策の用語)おかみさんとして、たっぷりと、財布に小切手と手形(グワム協定」をもらいに来た。
 昨日、テレビでメアの記者会見偶然見た。たどたどしい日本語で話していた。
国務省で日本担当最高責任者が、知日派を示そうとしたした(?)記者に対してサービス(?)かもしれないが卑屈だ。
 日本の記者も舐められたものだ。アメリカで活躍する記者はアメリカ人以上に英語の政治用語は堪能だ。
 オバマと鳩山が電話会談。鳩山は通訳付けて日本語で話をしたという。鳩山はアメリカの大学を出ている。英語でできるはずだ。
 まさに、「凛々とした」外交(社説)、メアの外交姿勢は「核の傘にしがみつき」(ガバン氏)、日本人記者へ媚びる態度が丸見えで、世界の流れ、アジア情勢を見ない、無知外交を示していて、オバマ大統領と相反するブッシュ外交の遺物であろう。
 総選挙、日本ミニタリスト(憲法改悪勢力)大半が落選、メアのショックは媚びとして現れる。
 メアは日本政策を誤る。高等弁務官は歴史の遺物である。アメリカ国民は卑屈でない。

昨日、午前中、高江に行ったIUCNの若者たちと話をした。辺野古も若い人たち、新しい人たちが増えた。
04年に来た若い人たち6歳年をとったことになる。それぞれの顔が浮かぶ。

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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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