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「村ぐるみの闘いは必ず勝つ」=チムグクルの共有目指して


休みの日ですが闘いは休まず。報告積もるので発信です。抵抗する者には土・日は闘いの土台つくりだ。

 「国難」の中でも
  辺野古・高江の闘いの新たな構築のために

 「陸の孤島」高江道
 ウリズンを迎える高江道、東村ツツジ祭り、シャリンバエ、アザミなど花咲き乱れる。半世紀前の険しい崖に道の跡見え、シャリンバエが映える。
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 (白はシャリンバエの花、横に長いには獣道の旧道と推測)
 全戸ビラまき
  沖縄統一連約25名
  東村9部落約900世帯にビラ配り、街頭宣伝行動、東村道の駅で打ち合わせをする。都市地域では一人でできるが、山村では住宅まばらで人海戦術が必要だ。
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(ビラ配り、街頭宣伝の打ち合わせ)

 村ぐるみの闘いは
  必ず、勝利する。歴史が示す道
私の街頭からの呼びかけ概略
私は、国頭村奥間の出身で大西と言います。
25年前、辺土名高校で9年間教鞭をとった折には皆さんにお世話になりました。現在、私は、辺野古に基地を建設させない、名護ヘリ基地反対協の責任者の一人として、辺野古の海に杭1本も打たしていません。普天間のヘリは高江で訓練します。高江と辺野古は一体の闘いなのです。
 辺野古はオール沖縄が反対の政治世論になり、仲井眞知事も「県内移設反対」です。高江もオール沖縄にしなけれなりません。そのためには東村民が反対への勇気を持ち、東村村長が「ヘリパット反対」の公約に戻ることです。
 1970年国頭村民は安田の実弾砲撃と基地撤去を成し遂げました。「安田区民を救え」「国頭の森を守れ」「安田区民を孤立させるな」と命を懸けた闘に勝利しました。
 1988年、安波ダムに垂直離発着戦闘機ハリヤーパットの建設にも「国頭村ぐるみ」の闘いで勝利しました。
 もし、あの時、大砲の弾を「一発でも撃たしていたら」、ヤンバルの森は金武町の山のように焼け尽くし、禿山になっていたであろう。
 もし、安波区民を国頭村民が見放していたら・・・・・・!
 私は、この闘いの中で学びました。村民が団結すれば日米政府に勝てる。

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 (A3判チラシ表)
 軍民共用空港に勝った力は
  名護市民ぐるみの市民投票の民意
 稲嶺恵一知事(1998~06年)と岸本建男名護市長は軍民共用空港計画を進めました。ヘリ基地反対協は名護市民投票の民意を柱に、陸上・海上に座りこみ、この計画をダメにさせました。
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 (A3判チラシ裏)

 たちはだかった宮城茂東村長
  「振興策に命を懸ける」
 日米政府は3度目の計画「沿岸」「V字」計画を押し付けてきました。当時の防衛庁長官は額賀志郎でした。東村村長宮城茂さんは額賀長官を東村にお招きしてヒージャグワツチーで歓待、「振興策に命かける」、いわば、辺野古基地建設に命かけると「ねだり」ました。
 私は、辺野古に基地を建設させないために「命を懸ける」と辺野古のオジー・オバーに誓いました。
 命は「金と基地」に懸けるものではありません。
 歴史で見てみましょう。
 宮城さんが懸けた命、沖縄県民から見放されているのではありませんか。
 私が懸けた命、輝いていませんか。
名護市民は雨のように流される「アメとムチ」の中で、辺野古を孤立させずに民意を守りました。苦節13年、名護市民は稲嶺進市長誕生させ、基地移設賛成の仲井眞知事も「辺野古ノー」です。
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 (東村宮城魚泊で街頭から訴え、旗伊佐真次住民の会共同代表)

  日米政府―東村を落とせ
    ターゲットにされた高江
 日米政府は辺野古に手が付けられないために、昨年12月から、高江ヘリパットを完成させて、再び辺野古を強行する戦術に出ました。
昨年12月から、沖縄防衛局は北部の1・2位を争う東開発を投入、キチガイじみた土嚢作戦、沖縄防衛局3分の1の人員投入、でも、4年間で完成したアクセス道路約250m(道路2000m)にすぎません。辺野古と高江ヘリパットは一体ですから、私も4年前から高江を支援しています。特に、私にとっては奥間の山と高江の山は一体の山です。私の父は敗戦後から山アッチャー(木こり)で、当時、高江でも材木を切りだし、馬のハミ(イモとバラカカス)を車部落(高江の小字、当時はここまで自動車)まで届けていましたから、特別な思いもあるのです。私にとって辺野古以上に宝の山、沖縄県民の命の山です。ヤンバルの明日を豊かにする森です。

高江も辺野古と同じようになりだしています。
 今日、私たち沖縄統一連の仲間が、全戸にビラを届けています。お読みになってください。

 北部訓練基地は全面返還すべきです。いらなくなった土地一部返還、22のヘリパットが現在あります。東村には15あり、6作りますから21が東村に集中し、「空飛ぶ棺桶」「未亡人製造機」と言われる欠陥輸送機MV22オスプレイが、高江のみならず東村から大宜見村、伊江島の訓練へ飛びます。
 人間が創る、しかも、欠陥機、福島原発と同じ事故が起こる可能性のとても高い輸送機です。
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 (行動終わって、東村道の駅、レストララン 野菜かれー、野菜そばうまいのだ、一気にペロリ)

 東村民が勇気をもって
   ヘリパット反対の声を
 国頭村の闘い、名護市の闘い、村民、市民が見捨てないでわが痛みとして闘った沖縄の心です。村民がわが痛みと立ち上がるとき、沖縄県民はわが痛みとして立ち上がります。沖縄の「チムグクル」の豊かさです。
 沖縄の歴史は、私たちに大きな財産を残しています。「村民が団結」し県民が「チムグクル」共有するとき、希望の光が見え、必ず、勝利します。小さな勇気は大きな勇気を生み出します。
 伊集村長は選挙公約戻ることです。今からでも遅くありません。
 東村民の皆さん、手を取り合って、頑張りましょう。
やっぱり、「宝の海」は花で
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 (ナンゴクハマウド、行動終わって、大宜味村津波海岸)

 (続きー福島原発と日本共産党「赤旗)
記録資料
 福島原発と赤旗
 すでに、「宝の海」では日本共産党福島県委員会の東京電力への申し入れは公開しています。22に日「宝の海」冒頭です。

 民主・自民党は「思いやり予算」を関東東北災害地に、新基地建設費・グワム移転費を福島原発「難民」につぎ込め、福島原発1号機アメリカ製、アメリカ大統領は日本への「ゆすり」やめよ!
 それが良き隣人としての最低限の人道支援だ。5年間で1兆円、日本からせしめるのやめよ!アメリカ国民の恥だ! 
 「原発絶滅受合法案」発動し、原発容認議員は福島に飛び「安全」を実戦せよ!
 人災ではない、政治災だ!
メデイアは、日本共産党および安保廃棄勢力の動きなど、報道してきませんでした。安保問う数万の集会より一般的な市民団体の100人の集会を報道してきた。
 このツケが、戦後最大の「国難」を招いている。これが日ごろの私のメデイア観である。全国・沖縄と問いません。マイオノリティーは切れ!である。
 いま、マスコミが政府批判で、赤旗の記事扱いだした。安保も原発もぶら下がり報道、現在の根問う報道、提案ない。マスコミが提起することは福島原発「永久廃炉」ではありませんか。学者人の共同声明にも「廃炉」がはいてきたの出てきました。
初期の「安全神話」の楽観論者消えたけど、また、放射能被爆(外ない)あいまいにする予防学者あり、海に放射の流れた。微量だから安全の嘘は通用しない嘘述べると顔が惨めな姿、水俣和解まで国民は見ているのだ。

放射能に勝つことできる?
 逃げるか勝ちーでも
 も経済的に逃げられない
  現に横須賀米艦隊空だ、適切な判断、米軍軍属沖縄に逃げている。調査機飛ばし物資証拠取って、風向きに揺られてる。春1番の風怖い、上空で舞う。温帯低気圧気まぐれ、福島は海底水と温帯低気圧に悩ませる、「想定外」に見舞われる。辺野古の海、放射能ないから後退も前進もできた。
 大気圏の竜巻、海のセシウムななどの蓄積する放射生体内物質の食持連鎖も起こってくる。対外放射、内部放射、わからんが、水で長瀬に局面ではない。希望は逃げること。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-03-26/2011032601_03_1.html
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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