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4月12日、ラムズフェルドと在沖海兵隊ー13日第2回更新



普天間返還合意15年の4月12日から
 何が見えてくるか

普天間返還合意(15年)の現実
 騒音防止協定ーさえ、アメリカは約束守らない国
 「宝の海」の発進は、午前1時までに、辺野古・高江の現場から米軍や日米政府の動きを予測する。予測はほぼ的中する。
嘉手納基地 深夜―早朝、騒音最多

 
米で在沖海兵隊撤退論
在沖海兵隊は
 人道支援にどれだけ貢献したか。
 「全任務終えて帰沖」(タイムス)

救援の海兵隊員 全任務終え帰沖
 「宝の海」は3月13日に次のように、指摘している。
 エセックスが日本海に到着したのは確か16日、東南アジアから「転身」だが、在沖海兵隊を載せていない。タイムスに寄れば「600人」(在沖海兵隊1万8000人)、それはC130などで輸送であろう。シュワブで見る限り通常訓練をしている。即応体制能力が問われる。十分な即応体制に対応できなかった理由「日本政府から具体的要請遅く」と弁明している。「トモダチ作戦」発令を念頭に。
 「レベル7」と関連するのではないか?
 3月13日の在日米軍の動き「宝の海」 
http://teruo024.blog47.fc2.com/blog-date-20110313.html
 宜野湾市長・名護市長コメント
 琉球新報には、宜野湾市長、名護市長のコメント掲載、アップされていませんので、タイムスの宜野湾市長談話を紹介します。なお、稲嶺市長は知事、宜野湾市長、名護市長の三者訪米活動提起しています。
普天間15年、継続使用許さず 宜野湾市長が会見

http://teruo024.blog47.fc2.com/blog-date-20110313.html

 ラムズフエルド氏の誤算と
   新たな陰謀
 05年、国防長官であった彼は、ヘリで辺野古海上視察 
タイムス特集(6面)には、普天間年表、我部政明「『普天間』かすむ原点」孫崎亨「米側に当時の精神ない」、インタビュー記事が載っている。
 同紙3面には新しい連載「基地負担を問う」(1)「海兵隊「必要性低い』」クリストファープルブル(ケイト研究所)、太田昌秀「グワム移転解決の道」が囲み記事で載っている。
 05年、国防長官であったラムズフェルド氏は、ヘリで辺野古海上視察「美しい海」「小さなカゴに卵入れすぎた」「代替施設は死んだ」と漏らした。
 彼は、今、「沖縄県と日本政府の問題」「日本自身が決めること」という。元政治家として政治的狙いは何か。「宝の海」の現在の主テーマでもある。我部氏は彼の発言を「基本的に間違っている」と指摘する。
 民主主義を標榜するアメリカの政治家として、彼は、名護市民投票という民主主義の原則を忘れ、沖縄の非暴力闘争にも破れたが、死んだ代替施設を生き返させるのは日本の責任と言っていると認識する。

 太田氏の発言から
 太田氏は「辺野古移設が実現されていたら沖縄に未来はなかっただけに、子や孫に美しい自然を残したいと、反対の座り込みを長年続ける住民らに感謝したい」と述べている。
 1996年SACO合意至る過程など複雑に絡んでくる。SACO中間報告期、彼は嘉手納統合、中城案など拒否、辺野古決まると「政府と地元」の問題とあいまいにし、名護市民は市民投票へ、彼が辺野古移設に反対表明したのは名護市長選挙二日前(98年2月6日)で、市長選挙混乱に入った。
 96年、沖縄県民投票9月8日、DCに発った。13日、上院議員のスッタフ「沖縄は買収された」と揶揄された。振興策の前身「調査費50億円」を太田ー橋本会談のことである。12月2日沖縄タイムスにアメリカ報告「日米合同委員会報告を考える」を書き、その後含めて、沖縄教育庁に呼び出し受け続ける。
「ペンを折るまい」
 皮肉にも太田氏「政府と地元」論を元国防長官が甦らせた。
 「感謝」の意を表明した太田氏、1度も来たことがない辺野古テント村に来るべきであろう。太田氏信奉者は多数派だが、あえて、書きとめる。
 沖縄県民の意思は決まっている
  一度も約束守らない東京とDC
 我部氏は次のように述べている
「沖縄の人自らの理念と主張こそが、フラット化する21世紀での不可欠な心構えである。10年を終えて見えてきた21世紀は、国境超え、国境の中での地域のグローバル化が進行する。つまり、ワシントンや東京だけで物事が決まることが激減しつつあるのだ。沖縄からの普遍的メッセージは、世界にますます浸透する」
 辺野古が追及してきた過去・現在・未来である。
 
 決めるのは県民である。
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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