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北沢『代官』来沖考ーアメリカで何が起こっているか

 昨日は沖縄の自然。台風1号ルソン島近海で発生、この時期、この数年、南シナ海から中国へ、1号、北の方向へ、バシー海峡から台湾へ、今年の台風、日本列島北上コースか?
 「魔のバシー海峡」、小さい時から聞く、日本の将兵5万余が眠る海峡でもある。台風情報に欠かせない場所でもある。

「テロ・犯罪国家」アメリカ
  いかに、対応するか
 ペリーの水兵と
  コザ騒動から何を学ぶか 
 ビンラディン殺害にさまざまな論が出ている。沖縄の歴史体験では、アメリカは国内以外に法の支配、法の裁きはないということだ。つまり、すべてにおいて、ダブルスタンダーの国である。自国以外では、報復、仇撃ちしかない。ある意味では、自国以外「人種差別国家」であるという単純な問題であろう。
 アメリカだけが法であり、正義である。

 在沖米軍兵士および家族には、県警から早く逃げろと教育されているであろう。基地に逃げ込め、海に逃げ込め?
 
 ペリー来航、スケベー水兵、酒飲んで女にスケバーして、トゥマイ(泊)のニセグアー(青年)らに追われて水死。その後の交渉などが面白い。沖縄で死んだ水平4人と聞く、あんまり、恥ずかしいか、この水兵の名前刻まれていないようだ。

 アメリカ南北戦争(国難)の前兆で事件は、あいまいにされ、ぺりーの野望は。100年後に琉球を植民地にする。アメリカハ粘り強い国である。報復は、ねばねば・・・。

 だとしたら、70年12月コザ騒動のように、米軍関係事故・事件は住民が逮捕、身柄を拘束する以外にない。日本の警察、検察庁、裁判所も力ない。私が少年の頃のアメリカ西部映画、住民裁判が主流であった。息を殺してみていた。

「事故?防衛」「緊急避難」行為は、法律や地位協定よりも法的にも実践的にも上だ。

沖縄の地下のマグマが動いている。04年の自然、基地、社会に似てきた。
 マグマは、歴代日米政権、オバマ・カンへの裁きになるであろう。沖縄県警は優しい。犯罪米兵を助けた。次は、人の裁きだ。海に逃げた米兵、県警が身柄確保か?


 北沢「代官」の残したもの
  北沢に見えないもの

「日米合意」自ら破るー日米合意は軽いものー
   2014年を永久に
  日米の「恫喝」でもある。
 09年オバマ・鳩山会談から、今日まで見えてきたものは、「2014」外すこと。日米首脳は、この1点で「ゆすり」「たかり」<ごまかし>をやってきた。
 全国紙も09年12月16日以降、「日米合意」絶対論であった。
 哀れな、日米外交。これが日米首脳会談の議題なら、いや、まったく、日米首脳「ハジチラー」外交と言える。また、これほどの「ユクサー」外交はない。(ネット、琉球新報上段に琉球語辞典あり)

 北沢は、隠密、「密使」もつれてきていると思う。これらの動きが重要な意味を持つ。知事との会談だけでは読めない。

辺野古」移設14年完了断念 日米2プラス2で決定へ

 だけどヨー、北沢代官 アメリカで何が起こっているか 
 元在沖海兵隊の
  大統領補佐官ですら
 アメリカ議会、海兵隊出身の議員少なくない。これらの議員が90年代の海兵隊撤退論、不要論を抑えてきた。「思いやり予算」で日本駐留、生き伸びてきた。
 いつも、辺野古で書くのだが、海兵隊にとって辺野古は「アカプルコ」、元大統領補佐官ご本人、辺野古のサンゴの海、一生忘れられないであろう。ラムズフェルド「美しい海」なのだ。
鳩山の「パラダイス(楽園)なのだ」、つまり、沖縄海兵隊は、貧乏で、貧乏人が家族もろともパラダイス楽しむためなのだ。コテージは月20万~30万(基地外住宅)、出勤・出勤後の帰宅、土人ひき殺しても裁かれない、民事保障請求も受けない。海兵隊の天国なのだ。鳩山もよく見ているが、所詮、アメリカの操り人形、カンは、召使いだ。海兵隊、カンのばーべキューコック求めている。
 カン、オバマに命令されると、やるでしょう。字も読めない海兵隊に忠誠(抑止論・トモダチ作戦)で、足の爪までなめるかもしれない。北沢は4軍調整官(海兵隊司令官)にひれふし、媚びた。
 アンシマデ スナ、ハジンアイルスル、軍艦チャーヒンギ、海兵隊チコク、南洋でアシりくわーてィ、日本海、ヒンギマーティ、ドゥ フミー、ウチナーヌ目ィー、ヤマトゥー アランドウ、メーニチ、ヤナグトゥなー、ヤートゥナイヌ、ヒンジムンイー、アメリカーター。
 北沢デーカン、ミーアインナ。
 (琉球語は琉球新報HP,琉球辞典で)

 感激であったろう。

 下地幹郎議員は「混乱呼び込み」議員であるが、国民新党幹事長である。1議員なら「マタナー」と一蹴りするが・・・・ 
前米大統領補佐官が辺野古移設を困難視


辺野古「疑念」 「米も認識」首長歓迎

 あのゴーヤー発言メア君も
  信じられないことが・・・
「辺野古」実現に疑念 米側に移設困難視の空気 合意案固執の日本


  屋良君おめでとう
 あなたも訪問しませんか。
泡瀬干潟を眺め一服 博物館カフェ開店

 (続きー「あの頃、あの時、われらの実践(戦略)」(5回ー1次は終了、米軍再編成への戦略・実践、生産点(現場)から書くときもあろう。今、その時に非ず。今日は長くなります。)
 「あの頃、あの時―海のホテルで」(5)
 遊びの蓄積が
  闘いに生きるー海上闘争(04年9月21日~05年9月2日)

   毎日日記「宝の海」発信に入る。ー今日まで続く

 ニライカナイの神々―地球のすべての神々の連帯
 「百日闘争日記」書いて、9月、防衛施設局は強行手段に出た。
  海の闘い想定してジュゴン1号に続き船舶補強、カヌーは20艇以上になっていた。船舶免許の指導を進めた。魚釣りが好きで、すでに免許30年、沖縄国体ではシングルスカル、フォアーなどの監督になっていたから、沈没しないカヌーの指導は難しくない。
 基本的指導は、海を甘く見るな、雲や天気、潮流、地形、積乱雲の発達の仕方、雲の動きと雷の発生などを読むことなどを重視していた。
 ある日、南海上の雲の動きが異常、あの雲から目を離すなと告げる。漏斗雲(動かない竜巻)が槍のように海にいくつも伸びる。天と海が帯となってつながる。この風景は新聞にも紹介された。
 海上の闘いへの祈り 
c無題   (海の闘いへの祈り辺野古アクションより、以下同)
 カヌーによる
  厳しい戦いの日々、反対協各艇から寄せられる情報を適格に分析して当山栄の指示が出される。私は土曜日曜、県外へ出張、現職の安次富が踏ん張る。
ref="http://blog-imgs-17.fc2.com/t/e/r/teruo024/20110503174648397.jpg" target="_blank">d無題

  (漕ぎ行くカヌー)
 ヤグラは「砦」になってゆく
   ムシロで北風に耐える女性たちートイレないホテル?
  おしっこは、単管櫓につかまって潜水スーツに海で行う。冬、海に入るとき潜水スーツにおしっこ、だからごく当たり前のこと、暖かい幕を作るのだ。

e無題
 (寒い海でこらえる女性たち)
 05年4月26日
   24時間体制―「海上ホテル」
 ヤグラに正体不明の黒いゴムボート24時間現れる。軍隊服の筋肉隆々たる面々である。自衛隊特殊部隊、海上保安庁特殊部隊、特殊な警備会社などいまだにわかりません。
 わが強者も、夜中にサーチライトで照らされて恐怖、夜中、わたしは、毎日、天気の変化でいつでも退却できるため、舟を係留し、船に寝ながら釣り、正体不明のゴムボートに「仕事の邪魔(釣り)するな」と叫んでも、舟に近づいて威嚇する。
 未明、アンカー降ろしたゴムボートの前で、釣りを始める。どんどん釣る。
 ヤグラから拍手が起こる。ゴムボートもつられて拍手を送る。その日、以来、ゴムボートは私の言うこと聞くようになった。
 私がゴムボートで話したこと「君たちレキオ(琉球大交易時代の船乗り)を知っているか?」「宮崎の漁船が沖縄の漁師に注告されても、沖縄設置のパヤオでマグロ盗った。沖縄の漁師どうしたと思う」など話し、沖縄の漁師を侮るな、命失うぞ!

 わたし、闘いの現場で褒められることないが、辺野古・高江の現場闘争の重鎮Y氏は、会うたびに、ゴムボートをひれ伏せた、あの日の話をする。
無題F
 (未明、黒いゴムボートに怯える仲間、彼はやがて、高江の仙人になる)

 05年9月2日
  ボーリングヤグラ撤去
 陸の座り込み、海の座り込み、非暴力の勝利である。
 すでに、6月2日、櫓の金網撤去、勝利確信していた。黒ゴムボートもすでに消えていた。

無題H
  (9月2日、ヤグラ撤去)
 人生の様々な体験が、遊び含めて生きてくる。思うに、辺野古の海上闘争、気象、天気、雷などを、読み切る闘いでもあった。海で船、ヤグラに雷が落ちたり、ニングワチカジマヤー(台湾坊主ー温帯低気圧)を読み切り、事故を起こさないことでもあった。
 台風に出るバカはいないから、休息である。04年、辺野古襲った台風13個、6月発生し、11月も来襲した。
 自然を読む、それは、やがて、米軍再編成のアセスを打ち破る自然への目を培う大切な要素にもなってゆく、非暴力と世論形成は基本であり、質量とも新しい発展をするであろう。

 故当山氏は、陸上から適切な指令を下した。
 もし、我々に、冷静沈着な当山氏がいなければ、辺野古の今日はなかったと思う。
 米軍再編成においても、当山氏の明晰な分析は、計り知れない役割を果たした。
 当山氏の業績について語る日もあろう。

 民主党政権は、超法規的アセスで挑んできます。過去の政治情勢と現在の政治情勢を深く見つめ、闘いを構築しなければならない。

わたしは、プロフィールにも紹介するように「陸でも 海でも、夜も昼も寝ている」であった。
 いざというときは、鉄の鎖でボーリングヤグラの機材に体巻き付け、カギを掛け、横になっていた。
 でも、夜、小さな船、揺れと、船に叩きつける波、眠れますか?
 2004年9月から08年8月1日まで、船上の人であった?

 ボーリングヤグラとヤグラの間、約500m、4本、各ヤグラではヤグラ自治と民主主義が出来上がっていた。
自分たちの砦は自分たちでまもる気概に燃えていた。わたしは退却の適切な判断を出す以外、動かなかった。
 私が決断を出す必要はなかったし、その必要もなかった。
 一般的、船は国家である。船長は自分の領土の主権者者として排他権を持つ、全体的行動指針あっても判断は船長の「独裁」が絶対である。

  おそらく、当時ヤグラで頑張ったみなさん、私が釣りして刺身、ウニやシャコガイ食べたこと、魚の群れで泳がし、サンゴの観察、船の上で寝ている印象が強いかもしれない。

  敵である、P社ボーリング調査責任者y氏に、よく、「宝の海」のコピー見せてもらった。「宝の海」は那覇防衛施設局のミティーング」資料の一つになっていた。
 時折、那覇防衛施設局の統括官T氏やY氏の行動を宝の海で批判をした。

 05年4月23日は、宝の海で、T氏に船上会談を申し入れた。平和丸船上で刺しで話をした。防衛施設局船団の異常な動きで海の危険が増していた。
 「どのような、計画、陰謀があろうとも、作業船団と我々の船団に不測の事態が起きない」ことを求める。
 26日、未明、ヤグラが網で囲われ、24時間作業宣言をしたが、那覇防衛施設局は、逆に作業人が入れない状態に陥ってしまった。
 また、Y氏は、宝の海に書かれると。
 「大西さん、困るよ、ここ削除してよ、お願い、問題になっている」
 「給料査定に響くか、わかった」と夜に削除、翌日「ありがとう」となる。
 Y氏など業者は、わたしと交渉するとき、絶対に陸に向かない。シュワーブの丘の那覇防衛施設局の事務所には、唇の動きが読める望遠鏡が設置されていた。
 y氏と交渉するとき、私は、いつも怒った顔、困った顔で対応した。Y氏は微笑んだ。

 「宝の海」をアクセスする人が増えれば勝利は早くなる
   今も、思っている。
 当時、辺野古発進は「しん君日記」「夏芽」ブログなど多くはなかった。パソコン専門家から施設局関係、ペンタゴンが主な読者と言われた。今、恒常的ブログと生き伸びて続いているのは「宝の海」と「二見10区」だけ、辺野古浜通信がその後に頑張っている。県外では京都行動が踏ん張っている。

P_20110508225348.jpg
(05年にまとめた)
 亀井淳氏の書評
http://www.kameijun.com/zakki/034.html

1日、1日、見れば変化はない。運動体などにリンクされないが、宝の海に「誘導」されて防衛施設局船団が動く、面白いと思った。
 味方にも妥協しなかった。グリーンピース「虹の戦士号」が支援に来たとき、沖縄サミットの行動するなら辺野古来るの「やめろ」と書いている。
 05年3月4日、3月12日日記に、沖縄の闘いの原則を記している。グリーンピースは国際的にも実績があり権威があり有名であってもかってな行動は取らさない。

 「グリンピースの虹の戦士号が辺野古に来る。私たちの基本姿勢、戦略、戦術に反する行動取るとき、テント村同様、現場から退却してもらうことも辞さない。300日余の陸上、海上のすわり込の基本姿勢は変わらない。国会議員もテント村ではみんなと同じ人格であり、それ以上のことを求める議員はテント村の「住民」にはなれない。」、この原則は国際的合意事項である。
 (「宝の海」収録『愚直ー辺野古からの問いー沖縄非暴力の心』)
 
 この原則でもっとも危機的状況は村山富一元首相のテント村訪問
 故金城祐次命を守る会代表が「どうして自衛隊合憲と認めたのですか」とテントで質問、テントからも説明求められた。
 村山氏案内してきた 自治労沖縄県本が怒って、辺野古支援しないとまで言い出した。

 故金城「大西君すまん、すまんー・・・・・」と、誤りの日々、自治労現職の安次富代表委員が謝罪の連続、質問して現場が謝る必要あるか、そもそも、国会議員がだらしないから苦労している。「宝の海。には反論しているが、「愚直」には掲載していない。村山富一への配慮である。
 金城氏は、1日たりとも、テント村出勤、休んでない。それは、その死の直前までである。
 今、辺野古であれ、高江であれ、いかに、労働組合が、民衆とともに生きるか問われている。
 金城も、当山も、テント村では国会議員だから特別視しなかった。ほとんど、00さんであった。
 私が赤嶺議員を「赤嶺さん」というと、本土では驚く、
 相手がどんな権威のある人でも、 国際的原則では「民族自決権」-権威と無縁である。
 そも、そも、辺野古の闘い誰が担う。それは、名もなき民衆である。
  「宝の海」の編集奉方針は読者「ひとりでも」いれば発信である。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 
(第1次「あの頃、あの時、われら・・」を一応締めます。
再編成の闘いが続行中に付き、軍民共用空港の闘いから明日への展望汲み取っていただければ幸いである。)

 民主党政権はアセスの最終設計図(評価書)いつでも広告縦覧の構え、それでも、ロード・マップの日米合意の期限内完成は無理であろう。
 日米会談では、期限を取り払い、アセスも超法規的に挑んでくる可能性あり。
 東北東日本災害・原発でゼネコン・マリコンを新基地建設優先に振り向けるのか。
 沖縄新基地建設と被災地復興とのかかわりが浮かんでくる。
 また、復興支援が優先か、無駄な公共工事続行かも
 
 北沢代官にも、心あろう。

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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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