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糸満高校甲子園一番乗りー平和の祈りの夏


今日は、日月合併です。

日本4島注意
台風6号は、南西諸島北をかすめ、九州・四国・中国地方に向います。発達途上で南の雲のエネルギー吸収しています。力つけながら突然のごとく襲う様相です。まだ、正確な進路、示していません。これまでの台風と違う特徴だと思います。連休中ですが、くれぐれも波、雨に注意してください。
 台風がつくる波は、大きく、沿岸部の波より早く来ます。静かな波だと侮らないことです。


綜合学習のI高校
複雑な心境
 夏の甲子園沖縄大会決勝戦に進んだ。この球児たちも総合学習に参加していた。準決勝前にして、わたし、I高校に応援する。昨年も決勝に進んだが興同を応援した。生き生きしているのですねー。私、昨年の春夏の興南の偉業成し遂げた球児たちの少年時代、昨年は書き、平和新聞コラム「宝の海」にも、春夏と書いた。そして、監督も選手も「沖縄県民皆で勝ちとた」の言葉の重みについて話した。

 暑い日も、寒い日も、嵐の日も、
 辺野古は必ず勝つ、沖縄の高校生が輝くとき、沖縄はさらに輝く、歴史の中の高校生、21世紀を担う高校生と沖縄のチムグクルを共にしよう。(16日「宝の海」)

彼らに「沖縄チムグクルは必ず勝つ」と言った。
対戦校(中部商業)の監督は教え子、彼、今年で定年退職だ。私の応援の心複雑な心境。沖縄は野球でも県民規模で熱くなるのだ(この項16日記)

I高校(糸満)沖縄大会制し甲子園へ、おめでとう。
  盛根君(中部商業監督)、若いころ栽監督との死闘、いくどかの甲子園出場沖縄高校野球の発展に尽くしてきました。ご苦労さんでした。
 ピチャーの山城君は「三和中学校」(現在は糸満市)、旧三和村は、沖縄戦の中でできた村である。激戦(一家全滅)で人口が減り、真壁、喜屋武、摩文仁村が合併、平和の願い込めた村であった。一五年間続いた。

甲子園、沖縄チムグクルを今年も沸かせてほしい。
 昨年の興南の試合を、沖縄復帰闘争碑の次の碑文で表現した。
 「 喜びを表明するためにあるのでもなく
  ましてや勝利を記念するためにあるのでもない
  闘いをふり返り 大衆が信じ合い
   自らの力を確かめ合い決意を新たにし合うためにこそあり」
 2010年の沖縄のすべてが、この心であった。

  (この項、17日13時21分)


 各地で
  高江行動が行われています。日本平和委員会のビラです。
 ところで、ぜひ、QABの動画を皆さんに、勧めかす。
 南西諸島、総基地化とアジアの平和を考えるために、過去は現在である。
http://j-peace.org/2011/pdf/1107takae.pdf

「高江にあったベトナム村」(QAB琉球朝日放送)
  ベトナム戦争期の北部訓練所
 高校生の辺野古学習で、「沖縄は悪魔の島」、1978年12月末、ベトナムに行った。確か、翌1月8日、エアフランスがホーチミン市から最後の飛行機であった。中越紛争、ハノイで会った赤旗記者高野氏が取材中で死んだ。
 その緊張の中、ハノイ、フエ、ダナンを燃料積んだソ連製のマイクロバスで、絨毯爆撃のクレーター痕跡の間を南下した。ダナン、ホーチミンは「軍用機」で、枯葉剤で緑を奪われた山々を見た。

 戦争博物館はまだ全面的には開示されていなかった。ベトナムにのガイドが耳打ちしてくれた。「沖縄は悪魔の島」と展示されていると。
 今の普久ダム(ふんがー)、旧道にはジャングル訓練施設が70年代まであった。書庫の整理、当時の写真ないか注視している。レインジャー訓練を、いくどか撮っていると思うのだが。

 16日「宝の海」は、憲法前文添付した。
 沖縄の復帰は「憲法下」(1972年5月15日)に入る。ベトナム戦争終結は75年5月31日である。沖縄が「悪魔の基地」をいまだに、負わされている。日本国憲法化で、悪魔の戦争が、あのクレーター、あの枯葉剤の森・・・・・
 現在も日本国憲法下の高江から・・・「われらは、全世界の国民が・・」と思うのである。私、最近、南西諸島防衛論説く、ヤマトからくる少なくない知識人に遭遇する。
 この頃、少し、気になる。

 QABが1960年代の高江報道している。伊湯岳で訓練センター撮影できる。500ミリのカメラがほしいところだ。
 撮影会募集しているが、いない。夏の1時ごろが撮影にはいい。
QABニュースです。
 
http://www.qab.co.jp/news/2011071229340.html

 続き(水戸黄門と沖縄)
水戸黄門と沖縄
[大弦小弦]文化人の集まりで、諸国を漫遊する…
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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