スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

国頭サバクイは「民衆労働演劇?」ー琉球王国崩壊への序曲

少し大きい文字
遙か南。複雑な雲の動き、ものすごいスコール?東経37度、台風8号、東、北緯13度付近に低気圧、週末には見えてくるであろう。

大切なお知らせ

高江ヘリパッド(オスプレイ離発着訓練場)建設反対7.31集会
日時:7月31日(日) 14:00から
会場:東村高江区公民館
内容:①集会(各団体からの挨拶を予定しています)
   ②記者会見
主催:ヘリパッドいらない住民の会



古謡で見る琉球史ー「国頭サバクイ」で終わる(最終)


 琉球王国時代の「民衆の労働演劇?」
 私の国頭サバクイ考
 「テンペスト」は支配階級から琉球王国の崩壊を描く、古謡から見るとすでに琉球王国は崩壊していて、「国頭サバクイ」のダイナミックな舞台は、民衆の力を示す。
 民衆のダイナミックさは、格別な特色を持っている。集団舞踊、エイサー、あるいはロック的場面でも使える。

国頭サバクイはYouTubeで舞台舞踊、サンシン音楽で見ることができる。この国頭サバクイは名護発祥説、国頭村奥間発祥地説がある。「なぐーやま堅木」が名護山と採譜されたらしい。大国林道の与那覇岳と伊湯岳の中間に「長尾橋」(ナグー)ある。「深山堅木」が展望できる。

 名護説・各地では1番に「さー首里天加那志」と琉球王と王府を讃える。奥間のサバクイは下級役人サバクイを「酒を飲む役人」と揶揄している。自分たちの運ぶ堅木の美しさをウナギ(うなじ)の腹のすべすべした肌の美しさに例え、琉球王を讃える場面がないのが特色である。
 

 ブー(賦役労働)は重税下の賦役労働で、王や王府を讃える謡になっていない。一般的舞台で踊られサバクイには、サバクイで終わるけれども、奥間のサバクイでは「雨降ればー此の木」が終幕として、臼太鼓で謡われる。太鼓、棒と鐘の音以外に楽器は使われず、歌はサバクイ一人が謡う。それが、舞台で演じられるとき、歌と民衆の動きが労働演劇として浮き立たせ、民衆の様々な姿が一層、浮き彫りにされる。

 まず。舞台舞踊としての「国頭サバクイ」をネットで観よう。

沖縄三線 沖縄民謡 琉球民謡伝統協会 国頭サバクイ

 国頭サバクイ
1、サー 国頭(くんじゃん)サバクイ
   (ユイシーユイシー 囃子以下同)
 サー 酒(さき)ぬり サバクイ
   (ハイルレー ハーラレー ユイサー ハリガユーサー)囃子以下同)
2、サー 国頭 山から
  サー 出だちゃる 御材木(うぜむく)
3、サー長尾山 堅木や
  サー重(うぶ)なぬ 引らん
4、サー 深(うち)山 堅木や
  サー いなじぬ 前(め)一腹
5、サー 老いてい 若さん
  サー 肝(ちむ)てぃち 合わちょてぃ
6、サー 鏡地 浜から
  サー 引かちやる 御材木
7、サー 北ぬ 御殿(ぅどぅん)
  サー いんじゃちやる 御材木
 
(奥間婦人会印刷物による。元歌は『奥間郷友会誌』に詳しい)

  雨降りばー此の木
1、 此の木や此の木や
 引からん 引らん
 大和車に乗せて引かさんか
  (ハリクヌ ヤイヤ ヤイスリヨー ハリクヌ 囃子)
2、雨降りば雨降りば
 堅木ぬ薪燃いらんど
じょうしち母(アンマ)が 哀りすらどうや
 (上記 囃子)
 (奥間臼太鼓ー此の木、雨降れば)

  なぜ、労働演劇か
   舞台は神事の場
 本来、国頭サバクイは舞台舞踊・演劇ではではない。旧歴2月2日土帝君(トージーク、北の御殿、南の御殿、村発祥の地に道教の神社,村社)、アブシバレーなどで行われる。

 中央に大きな材木囲んで女たちが臼太鼓を踊り(13・14曲)、終わりかける頃サバクイ(現在の伝承者奥間俊満氏、氏も後期高齢者に入ったか)が登場して斧で材木削り、ウフェー(下役人、村の会計)が、イモを食べながら出番を待ち、踊りを背景にイモ食べるしぐさで、観衆を笑わす演技が前半の面白さ、サバクイが人集めの命令、ウフェーほら貝吹き、13歳から60歳まで集める。女たちもブーの対象、臼太鼓終わると、ウフェーは、藁を取り「サニとー」(出席」)取る。

 屋号を呼び藁を折る人数点検(サンミンは計算、藁算?)、男たちは腰に弁当籠、フジョー(タバコ入れ)を下げている。女たちは丸太の縄を引く、ここでサバクイは斧を高く上げ、国頭サバクイを高らかに謡い、男たちは棒と鉄丙を打ち合い、女は手を振り、「鉄柄やーいー ヤイサーヤー」(囃子)を繰り返しほら貝が鳴り響き、丸太が滑るように引かれて行く。

 舞台舞踊(どれを見ても)は、サバクイの曲を全員で勇ましくカチャーシー的に群舞になるけれども、奥間のサバクイは、衣裳も芭蕉布で労働服、歌うのはサバクイだけ、ブーの村人はスルガーのカツラで囃子。サバクイの歌、棒の叩きの音、ほら貝止み、最後に女たちの「雨降りば」の女たちの謡で終わる。

 昨日の記録メモには、森の疲弊のため、馬は大宜見、国頭では禁止されたと書いた。

山から平地まで、やっと、材木運んだ。
 女たちは過酷なブーに怒る。村に着いても鏡地浜まで、まだ引く。
  「引らん」、引けない、引けないを、繰り返し
  「大和車」(馬車?)で運べという。
 御材木運びで、カマドの薪燃えない。薪の産地がである。ヒヌカンの神に琉球王府を呪ったか。

 琉球王朝時代、御冠船、組踊が強調される。国頭サバクイには民衆の演劇がすでに誕生していたことになる。民衆は文字を持たない。口承や古謡として残る。単純、素朴である。
 各地のアサギアシビ(シヌグ・ウシデーク(臼太鼓)に、すでに、民衆の演劇は営まれていたか。ウンジャミの神事も自然を舞台としての舞と演劇、カミアシャギの女の遊びウスデークに、男をも含めた新しい世界が生まれた。それが、国頭サバクイであろう。

 たとえば、沖縄の祝いで踊られる「かじゃで風」は、奥間の鍛冶屋の詠んだ歌だという。民衆が謡った歌が、恩納節はじめ、古典琉歌の主なもの民衆が生んだ。日本の短歌は貴族階級の歌が主流である。


 奥間の獅子舞
 国頭地方に獅子舞は多くはない。奥間(国頭)には、もともと、エイサーはない。お盆には獅子舞(ウガンで神事である)、8月15夜にも神事として舞う。子獅子(ミルク、タンメー、鬼、サル)があり、わき役としての子獅子の動作が、神事を豊かにする。静寂の中で音は獅子の歯の音と鐘の音だけである。

 ウンジャミに関する「宝の海」の記録は2010年8月31日から3日間、写真かなり使用しています。

 下記はQAB「奥間大綱ひき」です。

Qリポート 2年に一度、奥間が燃えた日

 沖縄戦と国頭の森
  草刈照雄
 プロフィールに少年期を「草刈照雄」「炭焼き少年」と書いている。沖縄戦は街も村も牛や・馬・豚もすべて失った。ハワイ移民者から豚が送られてきたのは有名な話、村や町の復興に国頭の材木、竹、薪が重要になって、沖縄の戦後復興に欠かせない。

 戦後、村が求めたものは村芝居であった。村の名優たちが記憶に残る。
 復員してきた父、馬を買い、奥山から材木を切り出した。小学校1年から高校まで奥間平野、里山で毎日馬の草刈、馬のハミ資料のイモ栽培、沖縄には枯草を保存する飼育保存はなかった。おーらー(モッコ)を担ぐ、毎日であった。

 1950年代末になると那覇にダワン工場、本土から杉材が入ってくる。また、石油コンロの時代に入ると炭焼きに転職、やがて、耕運機が導入され馬の役割は終わる。
 私が大学に合格した時、「エー、アヌ クサカヤー、炭ヤチャーガ!」(エー、あの草刈少年、炭焼き少年が大学合格、8年ぶりの琉大、今でも、母の年配の話題となる)と驚いたようだ。
 そのころ馬は奥間だけでも36頭いた。周辺部落を合わせると60頭か。草がなかった。身長は荷物(草・炭)担ぐので伸びる暇なかった。

 すでに、小学校でアメリカ民主主義と決別していた。少年に湧き起こる米軍支配の矛盾に、少年の心、村人は知らない。私の世代、沖縄の復帰闘争に目覚める。同級性には少なくない友が、大学、そして、卒業後もともにする。地方青年は戦後沖縄の担い手(特に大宜見村の人物調べるとよくわかる。)(プロフィール参照)

 王国の琉球貴族は冠船、組踊りを生み出した。民衆はすでに「安波節」「恩納節」を生み出し、国頭サバクイと言う民衆演劇を生み出していた。近代沖縄民衆芝居はウチナーオペラ生み出す。三大悲劇「奥山の牡丹」「泊阿可」「伊江島(辺土名)ハンドゥー小」などである。「丘の1本松」は茶谷クトゥバ(方言)、首里・那覇の言葉に勝つ。

 すでに、王国時代「国頭サバクイ」は、アサギ、海岸、御嶽を舞台としてオペラ的である。奥間俊満氏のサバクイに私が感じた印象である。
 国頭サバクイを「労働演劇」とし、王国への民衆の呪いとするのは、音楽や演劇門外漢の戯言と流していい。

 子どもたちの「国頭サバクイ」で
  元気な1日を!

 古謡で見る地方史(メモ) 終わり
Hanayakara - 国頭サバクイ

スポンサーサイト

非公開コメント

プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。