スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

高江(その1)、「イッパクさん」遺作展(その1)



台風9号沖縄本島直撃の様相です。「チーム森田」もまだ、台風進路は発表していません。あの正確な「チーム森田」が、6号以来狼狽えているように思えます。
日本の天地の乱れでしょうか。
 沖縄農家のみなさん、2号の失敗しないよう心がけましょう。
台風6号は、夏台風と秋台風の変則的道歩みました。9号は北に進むと表示されましたが、発達しながら西に進路変えています。要注意。

 今週の宝の海は
  1、高江7・31集会ー「小さな村の大きな闘い」
  2、画家「イッパクさん」-平和のために、明日の沖縄を託した高校教師(続きにーその1)

7・31高江24間小集会(その1)
 
 高江オスプレイパット工事再開から1月、24時間体制に入り、工事再開させていません。節目の集会開きました。
 150人余が結集し高江公民館溢れました。

DSC09804.jpg
 あいさつする伊佐代表
DSC09803.jpg

 私もあいさつさせてもらいました。
 台所で命の水で繋がる高江、将来自然エネルギーの電気で沖縄の台所を結ぶ高江の森をかたりました。
 昨日はさまざまなドラマに会って疲れました。

DSC09828.jpg


 追記
「特集ニュースー臆測呼ぶ前原氏の動きー辺野古推進の背景」(沖縄タイムス8月1日)
 佐藤学(沖国大)、田中宇(アナリスト)、佐藤優(作家)、我部政明(琉大)の見解が出ている。
私は以前に書いたのだが、「2ぷらす2」のゲーツ記者会見の忠実な実行者、政権が動けない中で自公・民主の政策的大連立を画策し、次期首相としてアメリカホワイトハウスへのメッセージ性を持っている。
   (11:40)
 
QABニュース

高江ヘリパッド建設反対集会
「いっぱく展」(メモ1)
 山入端一博遺作展
   8月6日~9月2日
    名護博物館ギャラリー

私、定年になったとき、幾多の想いがありました。
 名もなき、民衆を主人公とした歴史を書きたかった。
辺野古の闘いが現実的になり、まま、ならなかった。
 わが友、具志堅徹の御尊父、具志堅徳信さん始め、少なくない。
 
 8月になりました。わが同僚、友、山入端一博(1923~01年)が逝って、もう、10年、波瀾万丈の人生を送った。私が名護平和委員会事務局長(1998年)に就いた時の会長、教師生活は長年奈良で、沖縄に帰って辺土名高校で同僚となる。絵画数百点残し、「第4回、サロン・デ・ボザール」(76年アマチュア)大賞受賞、生徒は「いっぱくさん」と呼んだ。

 名護市幸地又(オリオンビール奥)に、パパヤを植え馬を飼っていた。「いっぱくさん」『シリーズ馬」出版(1984年)、私の少年時代描いているようだ。8月は、キジムナー(沖縄の妖精、大宜味村のシンボル)のような世界を描いた、「いっぱくさん」「馬」の絵を中心に添付する。

 穢れなき沖縄を、宇宙を描き続け、泡盛を充満させた日々、核廃絶の名護市民過半数を達成、名護市民投票を支えた「いっぱくさん」、わたし、まだ、貴方と杯を汲みあわすこと、拒絶する。
 彼方が、現世でなしえなかった仕事、私は成し遂げる。 

無題

 私の日記の中の馬
  『教育日誌ー学園に愛とロマン求めて』
 「馬は我が家の命綱でした。私の馬は休む日もなく山から木材を運ぶために、荷づれで背中は左右とも皮がはげ落ち、真っ赤な肉に血が滲み、まわりは膿が吹きだし、蠅がたかっていました。田植えや稲刈りの頃に、傷が癒えると、馬に乗って海岸や農道を疾走したものです。」

「 炭焼き小屋から、炭俵を鞍に約20俵ほど乗せて帰るのは夕方、荷崩れを起こさないために、鞍に2本の棒を支えていないと、谷底に馬もろとも谷底に投げ飛ばされます。馬2頭殺したと記憶しています。与那覇岳の山麓を流れる川をウッカー川と村との間にジャックワという峠があって、大きな松が根と葉を張っていて村の人は必ず一服します。この峠に輝く星空は、天降るごとく輝きます。
木材や炭を降ろすと、夜道を馬とともに比地川に泳ぎに行く、蛍が星の輝きと一つになって群れて舞う」

「私は、山入端一博先生の画集、『馬』シリーズ、『星座』など、メモ日記本等の表紙などに使用させていただきました。3頭の馬が、美しい星を探し求めて翔る願いを教育の場に求めて・・中尊寺、高館の丘、北上川眺めつつ」
 『私の教育日誌ー学園に愛とロマン求めて」(93年)
無題

いっぱくさんと、よく、馬の話をした。その頃、幸地又の農場に馬が紛れ込む、短足の宮古馬、少年は、わたしかもしれない。
スポンサーサイト

非公開コメント

プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。