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「高江その3」「イッパクさん」遺作展(その3)


台風9号は大きな目を持ちました。勢力を増しながらゆっくり襲ってきます。目が広いですからヘーシカジ(返し風)にも注意か。目に昼と太陽が見え、そのあと激しい風、この風が恐怖です。気圧配置微妙だ。
 今日は台風対策です。

高江3
 記者会見する住民の会と弁護団
DSC09852.jpg

 記者会見声明文
31.txt


 ウリンボーの運命
 親と離れ離れになったのであろう。森へと追い払うのですが、テントのまわりうろつく。弁当のおかずの残り食べない。お乳欲しのであろうか。ウリンボーは追い払うと草むらに「頭隠して尻隠さず」、少年の心になって捕獲してみた。

DSC09859.jpg
 残酷と思うか
 幼いころから、ハブでも出あったら叩いていた。無毒のアカマター、アオダイショウ、ガラシチャブーなどはペット、つい、捕まえてみた。
 成長したイノシシは手で捕まえたら自分が遣られる。
DSC09861.jpg
 バスの中にしばらく捕獲し、ミルク与えるようお願いする。怯えているのか。疲れて休んでいるのかは知らず。
 ミルクを与え続けると成長するまで面倒見なければいけない。オリに入れて人工飼育すると大体失敗する。どうする、みなさん。
 ミルク与えて、体力ついて、母親に会えるの願うのみ。
でも、成長したら、私の仕掛けにかかって、人間様の胃袋に入る。
 琉球・沖縄史はイノシシとの闘いである。(国頭地方)

 1950年代、フーチ(豚コレラ)が流行して、豚が全滅状態、幾多の豚埋めたかしれない。イノシシも絶滅したといわれた。
 今、イノシシ牧場やイノブタ牧場少なくない。国頭道の駅にはイノブタそばがある。森には沖縄純粋の猪はいない。オスの猪哀れ、イノブタのメスが「クルー」(発情期)と、雌の入っているオリに自ら入ってゆく。哀れだと思う。
 だから、イノシシの料理はいつでも提供できる。焼き肉用、しゃぶしゃぶ用は東京新宿「やんばるそば」出荷され、私は残った骨と足をいただく。高江のアンマー(母さん)たちのイノ鍋は、それは、それは、天下一品になった。実にうまいのだ。

 知恵働かし、イノシシ捕ったら仲間たち「残酷な大西」なる。でも、みんな美味しいとなる。
 防衛局は、イノシシ垣根で振興策の目玉にする。
DSC09862.jpg

イノシシと国頭地方
「琉球・沖縄史ーイノシシの逆襲」(7月26日)
http://teruo024.blog47.fc2.com/blog-date-20110726.html


bingo@y5.dion.ne.jp>
 山さん旺盛な絵画(3)
  馬・宇宙・キジムナー・平和に向かって闘う人
 定年退職した山さんの絵画活動、旺盛になる。87年度まで私は辺土名高校に9年在職することになる。「母校の40周年事業をやれ」、終わると「君、船の免除持っているから、生徒の安全のために漕艇競技(国体指定校)面倒見てくれ」と頼まれる。県の監督、琉球大学医学部の監督など、スポーツ音痴が飛んだ「出世」となる。歴史は皮肉なもので、15年後に辺野古のカヌー指導、闘いに生きてくるのです。
 漕艇シングルスカルに比べるとカヌーの操作は簡単。漕艇の私の役割はエンジンボート操縦し、ボートと平行、あるいは真後ろからバトルの波をとる瞬間、体の体制、フォアーやエイトの漕ぎを見る。

 約10年、中南部へ移動となる。山さんは絵をかき、若い美術家を育て、平和委員会の会長として、核廃絶署名、名護市民投票など名護の重鎮となってゆく。
無題4


 沖縄が動き出す予感
  1995年の年
 沖縄は漕艇競技のボートが漕げる場所がない。塩屋湾まで足を運んでいた。「沖縄総合学習」を復活させるべきと競技の世界に別れを告げ、沖縄戦・沖縄戦後の縮図である伊江島に土曜日になると足を運び、阿波根昌鴻オジーの語りを聞いていた。オジーの語り、暗唱できるようになっていた。また、伊江島ガイドなど引き受けていた。
 山さんの「うずくまる人々」に魅せられ、『沖縄の太陽物語』のメモを公開することにした。沖縄が動く予感もあった。
 1995年8月末日『沖縄の太陽物語』は上梓された。
 9月少女暴行事件が起こり、少女と母親の勇気に沖縄のチムグクルが動き、今日に至る。

伊江島の非暴力を描いた1枚の絵は、04年辺野古テント村の完全非暴力闘争と結びつけて見る必要あろうと思うのです。
 辺野古の闘いの責任者の一人として、実践的非暴力、積極的非暴力の記録は『愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心』にまとめた。(05年10月)
 それは、高江の闘いにも受け継がれ、今、日米政府と対等な闘いをしている。
山さんの1枚の絵は、わたしには、衝撃的な出会いであった。
 辺野古・高江訪問の祭
 名護博物館に来て、童心、キジムナーの世界、宇由を遊泳し、感性の豊かなひと時、お過ごしください。
無題2

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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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