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10月13日2信=「前夜祭」-「法と札のブルドーザー」の民主党



世界ウチナーチュ^大会
 御存知ですか
軍用地主はブラジル・ボルビアに
 1952年、サンフランシスコ条約の発効とともに、アメリカは「銃剣とブルドーザー」で、沖縄の土地を強奪した。1955年7月19日、宜野湾伊佐浜襲った。
 私の「沖縄の太陽」は、沖縄の抵抗の導火線と言われる伊江、伊佐浜の闘いの記録だ。そして、農民たちは「棄民」として南米移民とされ,辛苦を舐める苦労、挫折して帰国者も日本の各地に点在している。
 大会にはブラジルから2000人余の参加である。

 野田政権と民主党の大会中の「沖縄盲で」は、これらの人々へ「法と札束のブルドーザー」に映るであろう。
 沖縄基地の動きは、南米に住む宜野湾出身および基地で追われた人々には軍用地代含めて関心のある問題である。

 いくら、焦っているとは言え、閣僚、民主党大物の度重なる「来襲」は、無神経も甚だしい。新報・タイムスは紙面全面が大会、各面にはスナップ写真で埋め尽くされている。
 首長たちも各市町村で歓迎、交流と暇がないはずだ。祝いの座に「泥靴」で踏み込むようなものだ。
 
 閣僚たちの「来襲」(琉球新報)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-182745-storytopic-3.html
 大会前夜祭伝える新報1面
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-10-13_24632/
 大会前夜祭伝えるタイムス1面
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-182737-storytopic-240.html

 少年期の「銃剣とブルドーザー」
 多くの友人が「棄民」としてブラジル・ボルビアに移民した。これらの友人たちと少年期、米兵と戦争ゴッコした。それを「星空に蛍が舞う川奪われて」とメモ記録を残している。
 『続き」に遊び心で、一部を掲載する。

続きー「蛍が舞う川奪われて」(終章)


 「星空に蛍が舞う川奪われて」

 太平洋の「要石」と少年の心の襞

一九五五年九月、アメリカは沖縄を「太平洋の要石」を完成させ、由美子ちゃん虐殺暴行事件が起こった。担任の知花芳子先生が「由美子ちゃんの唇はキリリと結んでいた」の言葉が心の襞に残っていて、その意味が理解できるようになるのは青年になってでした。この事件は私が死ぬまで体から消えることはないであろうとともに、『沖縄の太陽物語』を書く原点にもなります。(P- )

 ギンヤンマの飛び交う川を奪われて
私の家は奥間小学校と隣りあわせで、仏草華の垣根を植えてあって、隙間から登校していました。小学校は、もとは村のアサギで、神所はアサギの一部であった私の屋敷に移され、神の道が裏校門にもなっていたこともあって、庭はパッチン、マル玉、ゲッチョウなどの遊びの場でした。 小学校6年、その日も、泳ぎや釣り場を奪われた悪童どもが庭に集まり、地面に比地川の地図を書き米軍を困らす作戦計画をたてています。半地上原から通学するあだ名サルとミルク(顔が面のミルクのように広い)は、シンメーナベの馬の餌芋を食べていて、鶏が突いている。一〇人近くの悪童たちの作戦計画は、米軍の取水場で泳ぐ、米兵が来たらホテアオイの中に二~三人隠れ、全員対岸の土手に上がりからかう。あらかじめ土手の草、ネズミノオの穂などで罠を作れるだけつくり、黄金に実り始めた畦道にも罠を作る。我が家の馬の食べる芋は、戦の前の腹ごしらえで減ってしまったが、我が家のイモはクラスメーとのオヤツみたいなもので、母はイモを4つに切り煮るのですが、水を含んだイモも、当時、 いつものことでした。

取水場に集結すると作戦計画は順調に進み、ギンヤンマが水面にお尻をはねている川に、全員服のまま飛び込み泳ぎだす。半時間ほどして、VOAのある鏡地のほうから埃を舞い上がらせてジープが疾走してきて、二人の米兵が「ノースイミング」と大きな声を張り上げると、悪童どもは「アイム ソーリー」と頭を下げて、対岸に上がり始めるのでした。
私の役割はホテアオイに隠れる。ホテアオイが揺れるとバレルので、波も起こしてはならない。目の前にはホテアオイの紫の花が房となって咲いている。花の房の奥におしべとめしべの黄色い花粉を食べにテントウ虫が夏の太陽を避けるように休んでいる。水中の足にはカニが乗って遊びだした。
米兵たちは悪童どもを褒めながらジープに戻り始めたところで、ホテアオイに隠れていた第二陣が泳ぎだし「ヘイ、パンパン、ダイスキ」「スケベー、ヘイタイサンー」など、ありったけの罵声を上げ泳ぎ回り、上流の対岸にたどり着き、ジャンプ繰り返してふざける。米兵は怒り出し堰を渡ろうとするが、あらかじめ泥が積まれていて身動きが取れない。米兵たちは下流の比地橋を渡り全力で悪童どもを追いかけ出した。罠や縄(自分たちでワラで編む)で思うように走れないので、ますます怒りの声が大きくなる。悪童どもはそれぞれのあぜ道で「カモン、カモン、クレイジーボーイ」と叫ぶ、この地帯の田は湿地帯で稲の刈りいれ期も水が満水の棚田、米兵は土手からあぜ道に飛び降りるやいなや水田に落ち、頭から体中泥人形になってしまった。
突然、「パーん」と、ピストルの銃声がなった。

この事態は、悪童たちの作戦計画には描かれていませんでした。悪童たちは湧水から段々畑、チンオーガミの崖を、半地上原に一目散に駆け登り、サルの家にたどり着いた。
子どもたちにとって山は五月の家庭訪問のころはヤマモモ、夏の終わりにはバンシルーやヤマブドウ狩りなど庭のようなものであって、山の密林を逃げることは遊びの世界であった。しかし、悪童どもに新しい恐怖を呼び覚ました。

VOA住宅
当時、生活改善運動が盛んで、土間の台所がタイル張りに変わり始め、石油コンロの普及が始まっていたように記憶しています。
 お風呂も、全然囲いのないドラムカン風呂から、鉄製の風呂が家の中にでき始めてきたころで、井戸の側の野外露天風呂を覗いていたものだ。
学校でもアメリカの家庭見学が盛んで、VOAのアメリカ住宅の見学があって、冷蔵庫、ガスコンロなどの備えたアメリカの生活を夢の世界と、アメリカ映画とともに憧れの世界でした。それ以上に、一人一人に配られるお菓子を包む紙、輝くお菓子が私の心に刻まれています。
当時は、アメリカの映画も騎兵隊とインディアンとの闘いの映画が多かった。私は同じ顔のインディアンが悪者にされていることに違和感がなく騎兵隊の活躍をすごいと思っていた。
 奥間ビーチの滑走路にヘリコプターが止まっていた。当時の奥間ビーチは将校以上のリゾートで、おそらく偉い人が来たと思われる。悪童どもは、目の前のヘリコプターが珍しく、近くに近づき、やがて、ヘリコプターにブラ下がったり、遊び道具にしてしまった。

 その日、学校に帰ると、担任の先生が頭から湯気が蒸発するように怒り、全員横一列に並べ、手を出せと、板の物差しで次々に一人に三度叩く、板の物差しがいくつも折れる。私のころには、チンブク竹の授業棒で、昨年、夏休みの宿題で提出した、竹の根の節に五本指が入るしなりのある竹の棒であった。私は手の甲を差し出し右手を上にして待った。日々の草刈などの仕事で、私の右手は豆タコで固く、時に剃刀で削っていて、右手が当たるようにするのですが、竹は手の甲の一点に食い込み、痛みが脳天に走り、涙腺を破裂させ、涙がこぼれ止まりません。女生徒のいる前で、声を出すことはなかったですが、担任の目からも涙がこぼれていました。
 太陽が沈み、月明かりを頼りに山道を下った川は、何事もなかったようにボラが月に跳ねていました。私は、十三夜の月明かりを頼りに草を刈り、モッコを担いで夜道をトコトコと歩あるいていました。学校では何事も起こりませんでしたが、この年、サルとミルクは学校から消え、私の草刈りの手伝いをした多くの学友が新天地ブラジルへと故郷を棄てて行きました。ラクサのギンヤンマや蛍は、戯れる子どもとの世界を失った。(少年期終わり)
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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