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宝の海再開お知らせ


12月1日
 「宝の海」再開

 田中沖縄防衛局長「犯す」発言が問題となっています。
 11月17日、琉球新報田中講演が紹介されていますが、連動してみる必要があります。1956年、米軍は辺野古などと一体になって、琉球放送座安盛徳社長を恐喝、恫喝して島ぐるみの闘いを挫折させた。田中これを評価して、辺野古移設の戦略を立てた。「地元の地元」論で、再び辺野古を県民裏切りとする。行政及び政治家が辺野古(旧久志村)の裏切りを前面に出してきた。辺野古の県民裏切りを歴史的に検証のまな板に載せてきた。
 ある意味では不問にされた歴史を防衛省が出してきた、違例なことでもある。
 沖縄県民は優しいから封印してきた。封印は解かれた。過去にさかのぼっての辺野古論を展開せよと、田中は県民に挑んできた。歴史家は応える必要があろう。

琉球新報17日記事
辺野古区は反対せず 防衛局長、地元理解で強調
 沖縄防衛局の田中聡局長は16日、那覇市で開かれた九州・沖縄防衛議員連盟連絡協議会の総会で講演した。米軍普天間飛行場の移設先とされている名護市が拒否していることについて、同市辺野古区が昨年5月に補償などの拡充を条件に移設容認の決議をしたことを挙げ「地元中の地元は、自分たちの条件を認めれば容認すると決議している」と述べ、移設先に最も近い地元は移設に反対していないとの認識を示した。
 2009年の政権交代後、鳩山由紀夫首相が指示した普天間移設の再検討作業で、日米両政府が辺野古移設に合意した過去の経緯を検証したとし「レビュー(再検証)の中には、嘉手納統合案も含まれた。さまざまな理由で無理と了解をいただいた」と説明した。
 辺野古移設について、仲井真弘多知事が「地元の理解が得られない移設案の実現は事実上不可能であり、県外移設を求める考えに変わりはない」と主張していることについて、「地元は名護市を指されている」と指摘。名護市長が辺野古移設を強く拒否していることや、同市議会の過半数が市長支持の議員が占めていると説明しつつも、「地元中の地元と言っていいかもしれないが、辺野古区は自分たちが出す条件を認めてくれれば容認すると決議している」と述べた。

 戦後、基地建設のため米軍が土地の一括買い上げをしようとしたところ、辺野古区が補償などの条件付きで賃貸借契約に応じたと説明し「辺野古の方は自分たちの条件を満たせば平和裏に契約しようという態度を取ったという事実を、われわれは重く受け止めている」と述べた。一方で「条件付き容認した地元中の地元がある一方で、受け入れられないと言う方も当然多い」とも述べた。
 鳩山政権による普天間移設先の再検討に関して、在沖海兵隊の陸上と航空、兵たん部隊を一体的に運用する必要性を示した上で、検討した徳之島への移設について「米側の要求水準は本島から100キロ少々で距離的に遠かった」と述べた。


 明確な記憶ではないが沖縄タイムスが07年か08年1月の早い日に特集記事で生々しく書いた。

 こちらを今日の高江
http://takae.ti-da.net/

追記
 30日のメデイアは大騒ぎ、
 田中は「知沖派」である。更迭で彼および防衛局の戦略隠ぺいされた。『地元の地元」論の過去、現在、明日を軽く見てはいけない。
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非公開コメント

お帰りなさい!

おおお~再開、しかも、大事な指摘を掲げて頂いて、嬉しいです!(愛読者より)

再開心待ちにしていました。/田中発言

「宝の海」再開心待ちにしていました。
日本平和大会in沖縄でも、お姿見ませんでしたので、シワしていましたが、再開、何よりです。
昨晩、環境問題の講座で親しくなったみなさんとお会いしましたが、その折に、辺野古と高江ツアーをしようよ、とよびかけたところ、意気投合しました。近々実現する運びです。辺野古テントに対する「地元」のいやがらせもあるので、それを跳ね返す意味でも、テントを守れ、というよびかけもしてゆきたい。高江も緊迫した状況ですが、結審を控え、高江に足を運ぶとりくみも、地域で仲間同志ですすめてゆきましょう。
それにしても田中発言ー知事は「口が汚れる」とコメント。
私は、第一報を聞いて「またなー」です。防衛省という役所はそういう人間の塊なのでしょうかね。軍隊の本質そのものと思うのです。
プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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