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12月の闘い如何はー闘いの展望を拓く


お知らせ

・12月7日(水)19:00-
教育福祉会館(古島)
「沖縄侮辱発言と米軍基地の押しつけを許さない女たちの抗議集会」。
会場費300円。男性の参加大歓迎。

 辺野古新基地建設反対
   評価書提出断念県民集会

 とき 12月10日(土)4時
 ところ 県民広場 (デモあり)
  基地の県内移設反対県民会議
 (全国に連帯・連動行動、激励行動を呼びかけます)

 12月14日(水)
   那覇地方裁判所に朝から結集日にしよう
 
 高江スラップ訴訟公判(最終弁論)
    9時集合
  辺野古違法アセス訴訟
    午後1時集合
 注意 沖縄防衛局は帝国軍隊のように不意打ちを得意とします。高江の現場への配置も重要です。
個人的要望、わたしいずれも参加できません。今、2月の集中審理証人に立つために体力をつけています。
  二つの裁判は、単なる裁判ではなく、現場の闘いと1体となって沖縄を巻き込む要素を持ってきました。裁判  への参加、傍聴できなくても参加大事になってきました。メッセージでの参加も重要でしょう。


 展望を拓く師走の闘い
  12月は名護に休みはなかった。
 SACO 合意は96年12月、名護市民は太田知事も実質的に容認した「撤去可能海上基地」を、97年12月21日、市民投票で拒否し、沖縄の民意、民主主義の基盤を確立した。だが、
 稲嶺恵一知事、岸本建夫名護市長、名護市議会は99年12月、軍民共用空港を誘致した。私のそのころの記録に、「地球の生きとし生きるものが名護市民となった」「海の闘いになり、学際的闘になる」と記録している。
 我々は12月を1年の闘いの総括、明日への展望を拓く月としてきた。特に、印象的なのは09年12月からよく1月24日の名護市長選挙である。
 今年の12月は、アセス評価書をめぐり、民主党政権、米国政府も緊張させる現実を生み出している。あるいは、今回も野田政権を崩壊させるかもしれない。
 沖縄の一つの基地で、内閣がいくつ倒れたことか。戦後66年の「脱亜入米」を根本から転換しない限り、日本は漂流し続ける。
 06年5月、V字形基地の事前調査、方法書、準備書に対する闘いの蓄積は、12月の闘いをいかに戦うかで、来年の年明けからの闘いの方向を左右する。評価書提出を権力の力の強さとみるか、県民が追い込んでいると見るかによっても、描き方が違ってくる。

  現場で闘いを描き、
   闘いを創造、広げ、絆を固く
     療養生活でできる事
 現場にいて、闘いを描く時、たとえば、普天間・辺野古を「普天間返還」問題、「普天間移設」問題ととらえるかによっても違ってくる。
 私は現場に這いつくばって、現場から物事を観、分析、行動する。軍民共用空港から今日まで、名護市で街頭演説、私を越えるものいないであろう。
現職の教師が放課後になると演説しているから元名護市長渡具知祐徳氏は、首大丈夫か心配、サンゴや環境を語る、平和を語る、高校の教科書語る、住民自治、民主主義の獲得憲法前文で語るから誰でもできる。しかも、学校の授業市民にいつでも公開授業、祐徳さんから「蛮勇」の称号与えてくれた。
 原則として街中で一人でマイク握る勇気は必要だ。沖縄愛楽園野外授業などは地域も学校も支援していたが、出世主義の教頭・校長と生徒の前で激論した。私が公開すれば二人とも手痛い処分受けていたであろう。
 黒川温泉問題がすぐ起こっていた。教師として屈辱受けていたが「首」大事にしなさい。教師はいい実践したら褒めるのだ。

03年から08年夏まで大浦・辺野古の海に最も長い時間(漁師含めて)居た。学者たちからミーナレー・チチナレーで学ぶ、海底地形は私の釣り糸測定と自然保護団体のGPSと大きな点では変わらない。
 
 闘いを創るとは、常に、過去の沖縄民衆の闘いを振り返り学び、力を信じ、確かめ(復帰闘争碑文)、現在を見つめ、明日を描くことであろう。
 評価書に対する闘いの中にあって、私たちはアセスにいかに向き合ってきたか、メモ記録しながら、私の療養生活と言う現実の中で、何が出来るか考えてみたい。

ア無題
 (左、準備書に対する私の意見書A4版105P。右「意見書」沖縄防衛局に提出された意見書に対する防衛局のま  とめパート1、沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団作成)


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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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