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ハマサンゴ(4)-お花畑

大浦湾はサンゴの博物館
   驚異の自然を基地にしてはならない

サンゴのお花畑
 アオサンゴ、ハマサンゴを撮影したQABの三上知恵さん、船の上で「まるでお花畑」と言った。
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 地球の創造した宝
   審査会の答申は?環境省は防衛省任せ?

      生物多様性の豊か海に、わざわざ、何故、基地だ
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(続きをどうぞー沖縄愛楽園と戦争など)

いい判決が出た
鞆の浦景観訴訟 県に埋め立ての差し止め命じる 広島地裁10月1日10時55分配信 毎日新聞


拡大写真
埋め立ての差し止めが命じられた鞆の浦=2008年12月、本社機から撮影

 瀬戸内海国立公園の景勝地、鞆(とも)の浦(広島県福山市)の埋め立て・架橋計画に反対する住民が「歴史・文化的景観が失われる」として、広島県を相手取り埋め立て免許の差し止めを求めた訴訟の判決が1日、広島地裁であった。能勢顕男裁判長(現広島地・家裁呉支部長)は、鞆の浦の景観を「国民の財産」と指摘、「埋め立てがされれば景観への影響は重大で、埋め立ては裁量権の逸脱」として原告の訴えを認め、県に差し止めを命じた。改正行政訴訟法に基づき、景観保全を理由に着工前の工事の差し止めを初めて命じた画期的判決。今後の開発行政に影響を与えるのは必至だ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091001-00000001-maip-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091001-00000066-jij-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091001-00000086-jij-soci
http://http://headlines.yahoo.co.jp/hl?

アセス審査会答申出る
  9月30日ブログの「想定内」と思われる。
 調査の不備を指摘して、手続きは触れない。「アセス制度をなんと思っている?」の事後調査を評価書に生かしてゆく。違法調査の追認。複数年調査も事後調査の開始から事実上容認、沖縄防衛局「してやったり」と喜んでいるであろう。明日のコメントは「厳しい」答申と言うかも知れない。
 さて、どんな闘いを組む、情報内から明日の新聞で分析する。(メール送られているが開けず)

 ひさしぶりに辺野古行った。 (3時)
北部の戦争(3)沖縄愛楽園を
  沖縄総合学習の拠点に
 平和の礎に刻銘されない死者たち

1998年、名護市内の学校を最終の学校とする。野外学習の場を沖縄愛楽園に据えて、学校と愛楽園の間の戦争遺跡、田井等収容所跡など少なくない。
 差別と人権、偏見との闘い、ヒューマニズム、国際的人間愛、北部の戦争の特徴を遺跡が鮮明に語ってくれる。全国的にはライ予防法国家賠償訴訟の動きも起こっていた。
 
案内は元患者で牧師の松岡和夫さん
 生徒「どうして裁判に訴えないの?」
 松岡「年をとりすぎた。日本の裁判は長い」(当時園全体の平均年齢71歳)
すでに、宮古では訴訟が起こっていた。支援会に私も入会していた。
「現代にヒューマニズムとしてシュバツアーを教えるのもいいですが、愛楽園のスコア・ブランド公園などに埋もれている人間愛は、ローカルな教材によってグローバルな人間愛を子供の世界へ広がる価値を秘めています。」(拙著『啄木と沖縄』あとがき2000年3月15日)
 
2001年1月17日、那覇市東町会館、ライ予防法国家賠償報告会で生徒たちはプロゼクター「私たちの学びあい」を報告した。
 「元ハンセン病患者のみなさんの国家賠償訴訟に多くの方々が立ち上がり全国的に支援が広がっていることです。人間の痛みに共感する判決が出され、差別と偏見を克服して来た20世紀後半の人類の努力が、21世紀の沖縄の初夏に実を結ぶことを願ってやみません」
 異例の早期判決が出された。その後、行政から愛楽園学習についていやがらせが入る。周辺の高校に広がりだした愛楽園学習が下火になる。
 命を救った早田壕
  「悲しみの浜」と納骨堂
 沖縄愛楽園を南北に森が連なる。森の頂上に戦前の水タンクがあり、弾痕の跡が生々しい。艦砲、ロケット砲、爆弾、一人1個、機関銃100発(一人)受けたが死者は一人。信じられないことである。
 当時の園長早田氏は沖縄戦必死とみて、病人を動員して森に防空壕を掘り、連結した。連日の米軍の攻撃、それは、隣の運天港に海軍特殊攻撃艇の基地(白石隊)ガあって、兵舎と間違えられたという。
 食糧難、マラリア、赤痢、破傷腐菌などで死者が増える。北部の米軍上陸は4月4日、23日には組織的戦闘はない。海岸に仮埋葬、生徒たちの新聞に「悲しみの浜」と書きもまれた。
 特に、北部の教師や生徒が学んでほしい場所である。人間の素晴らしさも学べる。行政は「軍隊は住民を守らない」が怖いのかも知れない。

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                「最後の授業」から
 「学びあい」を記録に
    愛楽園学習新聞

 生徒に学習新聞を作成してもらった。300枚を超す。04年辺野古の闘いが起こり、整理もつかない。
国家賠償訴訟前後の青年たちの「学び」の証しだから、愛楽園にあったほうがいいと思っている。少なくない実践報告とともに。

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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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