沖縄非暴力ー辺野古から高江へ
日本全国
土・日だが・・・・週明け(23日)は高江に結集しよう
沖縄防衛局は「夜襲」が得意ー油断するな!
19日はアセス審査会と第3次嘉手納爆音訴訟、多くの住民がここに集中、沖縄防衛局は手薄の高江を狙って来た。04年4月26日、ボーリング調査単管櫓に金網張り巡らしたのも未明、07年5月18日自衛艦「ぶんご」投入も未明であった。評価書の「投げ込み」12月28日未明「犯した」。
ですから、高江は土・日も「車ホテル」に少なくない方々が宿泊しています。わたし青年前期まで炭焼き、山の炭焼き小屋は風や動物たち、川のせせらぎの楽器が交響曲を奏でる。短い睡眠時間も深い眠りを誘う。
辺野古の闘い、海の単管櫓に1月寝た。「海上ホテル」であった。
1月23日(月)未明から高江に結集しよう。時間遅れも大歓迎だ。
こちらから情報を
http://takae.ti-da.net/
「沖縄の将来に禍根を残な!」
アセス審査会長ー「異例の冒頭」発言ー県民を激励する
沖縄タイムス(20日)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-01-20_28732/
あなたに意見を求めています
あなた意見・激励しますか
激励することはもっとも人間らしい営みです
今日の記事だけであなた手紙書けます。
沖縄タイムス(20日)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-01-20_28736/
下記は送り先
沖縄県環境生活部環境政策課
〒900-8570 沖縄県那覇市泉崎1丁目2番2号
TEL 098-866-2183
FAX 098-866-2308
e-mail:aa025003@pref.okinawa.lg.jp
高江情報
QAB
http://www.qab.co.jp/news/2012012033288.html
沖縄非暴力の力(辺野古から高江へ)ーメモ
「高江の現状」と友人のメール 「宝の海」は、月の初めには、私の原点である「平和の文化」「生物多様性保全」の立場を必ず書いてきた。体調崩してこの数か月、書いてない。
今、私は「現場」にいることができません。「高江の現状」(19日、20日)の写真と「訴え」を観ると、沖縄の「武器なき闘い」、非暴力、「万国津梁」600年史を観る思がします。同じ日に、辺野古の海上闘争を闘った愛知のA女史からメールいただいた。
外国人(オーストラリア)観る高江の闘い
「高江の現状」(20日)
「また、昨日は海兵隊の駐留が発表されて激震しているオーストラリアのダーウィンから、アクティヴィストたちが視察に来ていました。インタビューを横で聞いていた人から話を聞いたので、ちょっとだけ補足しておくと、「反米の立場ではない」というのは、「反米ではなく、反戦・平和の立場です」、「駐留するのが外国軍だから、ではない、戦争に反対しているのです」と言っていたそうです。また「統制の取れた」というところは、disciplinedということばが選ばれていたそうです。統制、という訳は合ってるけれど、もっと、自分を律することができる、そのような鍛錬を積んだ人の、というようなニュアンスが含まれているのだと」
愛知の友人のメール
方針に従えない人は出て行け
「辺野古が非暴力の抵抗であることが、どこででも胸を張って語れる根拠です。あの現場で、それを言い続けてこられた大西さんの役割は非常に大きかったと思います。県外からいわゆる過激派が大挙して来る中、毎朝のミーテイングで「ここは非暴力のたたかいの場です。この方針に従えない人は今すぐ出ていってください」。リーダーたちが繰り返したこの言葉の重要性を、後になって認識しました。」
沖縄の歴史
先人たち残した財産ー積極的非暴力を豊かに
外国の目で、沖縄防衛局の暴挙を「異常な世界」と移り、この異常に闘う高江を「統制がとれ」、自分と集団が自分を「律して」いる姿に「鍛錬を積んだ」歴史的世界を観ている。
04年4月19日、辺野古の座りこみ、テント村が出来た。非暴力の基本方針が闘いとともに確立された。ブッシュの暴力が世界を脅かしていた。
テント村初代村長として、海の闘いの総責任者として、防衛局(当時は那覇防衛施設局)や公安当局に敢然と立ち向かうのは当然として、闘に参加する人に毎日「従えないなら帰っていただく」と一日幾回の講義をしていた。A女史などに異常と写ったかもしれない。
国会議員のテント村訪問も、まず、テントの村民になって、村長の許可であいさつさせている。
グリーンピース「虹の戦士号」の辺野古行動に対しても辺野古の非暴力と方針に従って行動すること求めている。(拙著『愚直』参照05年3月5日、3月12日)
「宝の海」日記「私たちの基本姿勢、戦略、戦術に反するときには、テント村同様、退去してもらうことも辞さない」「国会議員もテント村では同等の人格であり、それ以上のことを求める議員はテント村の「住民」になれない。)虹の戦士号は辺野古の海で錨を降ろすことなく洋上で行動し、感動を与えた。
防衛局に雇われた辺野古の漁師と仲間たちとの間に小さなトラブルが起こると、夜、辺野古漁協支部などと夜は和解と謝罪、仲間たちに、公安・防衛局の「屈辱」に耐えることを求めること幾度もあった。夜は「宝の海」発信で遅く、朝は早い。
「大西は夜も昼も敵前でも寝る」と、最も緊張感がないというのが、辺野古の評価であり、一般的評価だ。
「高江の現状」を観ると「屈辱に耐える」、ひたすらに耐えている。狂いそうだとも言っている。でも、自律した統制された姿は、崇高な闘いとして感動を与えているのだ。
防衛局の姿、道路でもトレーラーの上でも隊列組んで「吠えて」を連呼している。まさに、異常なオオカミの群れなのだ。
ラテン・アメリカの非暴力
マンタ米軍基地行進
「アメリカの裏庭」と言われたラテンアメリカで紛争の平和的解決、ラテンアメリカの共同が大きく動き、非暴力の運動が世界に影響を与えた。
07年3月9日、エクアドルマンタ市で国際反基地ネットワーク結成大会終了して米軍基地マンタ基地まで行進した。エクアドルの総会でエクアドルの政府代表は(「平和の文化と紛争の平和的解決でコロンビアとの紛争を解決、マンタ基地を交渉で必ず解決する」と宣言し>た。(1年後実現、首都キト市長は外国代表夕食に招待して教会で平和の文化を演舌した)
マンタ行進(デモは約8km)、デモの前にベネーゼーラのテレビの取材、デモが出発、あわて走ってデモの隊列探し、比国の友人コラソン女史が「大西さんは横断幕持つのだ」と言う。御横断幕の前で、老人が嬉しそうに剣を振り回している。信号機が見えるとデモ隊が座りだす。リーダーの号令で約100m走りだす。幾度も繰り返す。
驚くことに、デモのリーダーは比国のコラソン女史。会議のブースで隣ブラジルのプレス、朝、私への挨拶「マイ・ブラザー」であった。ラテン語圏の連帯観を見た思いだ。
3月8日は「世界婦人デー」でキトからマンタまで多くの街で連帯集会、夜町を騎馬隊が行進など、ホテル到着12時。
情熱の赤道直下のエクアドルで幾度も耳にした「平和の文化」、情熱的な非暴力の文化。街中で深夜まで「世界婦人デー」を祝う国、米軍基地マンタは返還された。